二次的情動がリーダーシップの醸成を妨げる

酒井:僕が考えるリーダーシップとは、自分の価値観通りに生きることです。ただ、価値観には階層があります。最下層が「快・不快」で、その1段上が「損・得」。ここまでは人間以外の動物も持つ価値観です。その上が「善・悪」で、最上位が「美・醜」です。これらはピラミッド構造になっていて、上に行けば行くほど個人差が大きくなります。このとき、人が人に対してリーダーシップを感じるのは、下の階層の価値観の満足を、上の階層の価値観のために犠牲にできる人に対してです。たとえば、損をしてもなお正義を取る人や、不快な思いをしてもなお美しさを取れる人です。人はそういう点に本物を感じるのですが、ではどうすれば上の階層に行けるのでしょうか。本当の自分は何をいいと思っていて、何を美しいと感じているのか。これを知るためには、教育によって作られた二次的情動を消さなければなりません。「怖いと思ったことを、男として恥ずかしく思う」。これは二重構造になっていますね。この場合で言う「男として恥ずかしい」という二次的情動が自分を探すときの妨げになっているのです。

伊賀泰代氏

伊賀:社会的にこう感じるべきだという二次的情動がある、という考えはおもしろいです。教育や社会規範によって後付けられたものが、二次的情動を作ってしまうわけですね。

 同じように、日本におけるリーダーシップについての否定的な感覚も、後付けされたものだと思います。自分の好きなことをやりたいと宣言し、それをやることがどんなに素晴らしいことかと周りを説得し、賛同者を増やして引き込んでいく。これって本来ポジティブに感じられることのはずです。

 それなのに、何らかの二次的情動が「自分がリーダーシップを発揮して、すばらしい成果を成し遂げた」と誇らしく感じるのは良くないことだと思わせているのでしょう。やりたいことが見つかったから勇気をもって会社を辞め、リーダーシップを発揮して何かを始めたのに、十把一絡げにこらえ性のないヤツだというレッテルを貼られてしまうのも、どうかと思います。