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記憶の賞味期限

楠木 建 [一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授]
【第29回】 2012年12月20日
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最適なバランスとは

 「景気後退が容易に終結するとは思えないが、時がたてば、経済状況を改善させる可能性をもった外的要因が生まれてくる。在庫がなくなれば補填が必要になる。消費者の恐怖心も弱まってくる。まだ支払い能力がある人々はディーラー業や販売業を再開する。もっとも重要なのは、金融業界特有の考え方である。人間知性が顕著に示されるこの業界には、記憶が非常に短期的であるという特質がある。そのために、楽観主義の誤りから生じた過去の悲惨、それによって経済が被った影響が結局は忘れられてしまう。それに引き続いて、特に恵まれた人々の間で、新世代の並外れた天才への信頼が復活する。そして、かつてのように、プログラム証券取引から、先物商品、株式オプション、ジャンク・ボンド、都市の不動産、美術品へと投機熱は進行するであろう。繰り返していえば、社会一般に流布する幻想と並んで変わらないのが金融業界の妄想である。」

 リーマンショックに端を発する、先だっての金融危機の記憶がいまだ新しいいま、長々と引用した上の文章に同意する人は多だろう。ただし、である。僕が引用した文章は2008年の金融危機を論評したものではない。それに遡ること16年前(つまり、いまからちょうど20年前)の1992年にジョン・ガルブレイスが著した『満足の文化』(The Culture of Contentment)にある一文だ。ガルブレイスの慧眼と洞察に心服すると同時に、人間社会がいかに蒙昧か、そして蒙昧であるという点で人間社会がいかに変わらないか、ということを痛感させられる。

 2008年の金融危機の渦中では「未曽有の」という形容詞が頻繁に使われていたが、いまとなってみれば、あの大事件のインパクトもしょせん程度の差であったということがよく分かる。確かに2008年の金融危機は、程度においては大きなショックだった。しかし、こうしたなりゆきはこれまでの資本主義の歴史の中で何度も繰り返されてきた。

 今日の社会問題を象徴する重要な指標のひとつは、所得のあからさまな格差だ。アメリカの所得上位1%が全所得に占めるシェアの推移を長い目で眺めてみると、1970年代は8%程度であったシェアが、レーガン政権が誕生した1981年以降急速に上昇し、2000年以降は20%近くにまでなった。しかし、さらに歴史をさかのぼってみると、大恐慌以前の「金ピカ時代」であった1920年代も、この数字はやはり20%近いところまで上がっていた。

 そうした社会が大恐慌で行き詰り、人々の反省と政策転換、企業行動の変化が生じた結果、所得上位1%が全所得に占めるシェア30年代から50年代を通じて確実に低下した。このことがアメリカに「黄金時代」(ロバート・ライシュに言わせると、「黄金時代のようなもの」といったほうがより正確なのでしょうが)をもたらし、豊かな中産階級の出現を可能にした。

 ようするにバランスの問題だ。バランスが取れている状態が最も望ましいのは誰でもわかっている。しかし歴史を振り返ると、「最適なバランス」というのが絶望的に困難であることを思い知らされる。1920年代の「金ピカ時代」は明らかにバランスを欠いていた。その後、ニューディール政策や戦後のケインズ的政策、所得平等化のための税制(50年代末のアメリカの所得税の最高税率は91%だった。これ、ご存知でした?)が前面に出てきた。

 レーガン政権が誕生するころには、逆に「黄金時代の行き過ぎ」についての不満が社会を覆うようになる。大きな政府に対する批判が強くなり、新自由主義が社会の基軸的な考え方になった。そして、やりたい放題の金融資本主義が暴走した結果、2008年に無理の積み重ねが爆発し、とりあえずの小康状態(?)にたどり着いたのが現在だ。

 「最適なバランス」とは、考えてみれば、バランスが崩れたとき、しかもちょっと崩れたときではなくて、リーマンショックのときのように、ようにどうしようもないほど崩れきったときにはじめて分かるものかもしれない。だとすれば「最適なバランスを!」という主張は、幻想というか蜃気楼を追いかけているようなものだ。

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楠木 建 [一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授]

1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。2010年5月に発行した『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)は、本格経営書として異例のベストセラーとなり、「ビジネス書大賞2011」の大賞を受賞した。ツイッターアカウントは@kenkusunoki


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