理念的にも大きな進歩
2008年の夏季五輪の開会式から激変

 技術的な斬新さだけではなく、理念的にも大きな進歩を見せた。コロナ禍の影響もあり、今回の北京五輪の開幕式は質素、安全、すてきというものを追い求めた。2時間近くにも及ぶ開幕式の出演者などの参加者は約3000人だった。2008年の北京五輪の開幕式に動員された1万5000人と比べ、人数を大幅に減らした。しかも、出演者ほとんどが普通の市民、学生などのボランティアで、映画やテレビドラマで見られるスターや歌手はいなかった。

 国旗掲揚の音楽をトランペットで吹いた奏者は、9歳の朱徳恩君だ。歯が欠けたせいか、音譜からすこし外れたところがあったようだが、その自然な流れのままで進行した。見た目の完璧さを求める08年北京五輪の口パク事件と比べると、張総監督と中国社会の進歩と見ていいだろう。中国のメディアも「不完全な美しさの勝利だ」と手をたたいた。

 オリンピック旗が掲揚されるとき、寅年にちなんで、民芸「蔚県切り紙」の虎が描かれた衣装を身にまとった子どもたちが五輪賛歌をギリシャ語で合唱した。

 子どもたちは全員、河北省保定市阜平県の貧しい山間部から来ている。21年9月、同県の馬蘭村の馬蘭小学校、南庄鎮の石猴小学校、そして井溝小学、大岸底小学、八一学校など五つの学校から推薦された200名の子どもから44人が選抜され、一番小さい子どもはまだ5歳だ。五輪賛歌をギリシャ語で歌う「馬蘭花児童声合唱団」がこうして結成された。

 特筆すべきは、馬蘭村である。この貧困な山間部に暮らす子どもたちはずっと音楽を学ぶ教育環境に恵まれておらず、楽譜どころか歌もろくに覚えていなかった。04年、鄧小嵐という退職した老人が馬蘭村に来て、子どもたちの幼少期を音楽で彩り豊かにしたいと音楽と楽器演奏を教え始めた。やがて小さなバンドを意味する「馬蘭村小楽隊」が生まれ、山間部に暮らすこれらの子どもの存在も次第に外部に知られた。「馬蘭花(アヤメ)児童声合唱団」設立のチャンスはこうして恵まれたのだ。ちなみに、合唱団に選ばれた馬蘭村小楽隊のメンバーは8名もいる。

 世界が注目する大型国際イベントへの子どもたちの出演は、これまではほとんど大都市の名門校が優先されてきた。今回、貧困地域の山間部に生きる子どもたちに機会を与えた意義は大きい。

 北京五輪の晴れ舞台に農山村の子どもたちが登場したことは、多くの人々の心の琴線に触れた。農村に飛ばされた文革時代の体験を持つ張総監督の目線に、意地とも言える意志を感じた。農村の子どもたちにも世界へ出られる機会を、というメッセージを伝えたい、広げたいという強い意志だ。