官民挙げてミャンマー投資へ積極的に取り組む今の日本にあって、まだミャンマーに陽の目の当たらない時代から現地との関係構築に勤しみ、現在の活発な交流活動の礎を築いてきた日本人の方々は多い。今回からご紹介するのは、政界・財界を含めて日本のミャンマー交流活動の旗振り役を担っている日本ミャンマー協会だ。28年間にわたるミャンマーとの交流経験を生かし、同協会の実務を統括する関専務理事に、今までのミャンマーとの交流活動と、政財界のミャンマー交流の取り組みの現状について話を聞いた。

28年前からミャンマーを支援
丸紅時代は1社で与信を付与

せき・あきのり
一般社団法人日本ミャンマー協会専務理事。丸紅国際業務部でタイ駐在時代に、ミャンマーの支援に関わる。丸紅退職後、笹川平和財団を経て、2012年3月、日本ミャンマー協会発足と同時に専務理事に就任 Photo:DOL

――初めにミャンマーに関わった経緯は、どういったところからだったのですか。

 私は丸紅の国際業務部に所属しており、1983年から90年までバンコクに駐在していました。その時に、1984年にヤンゴン空港の円借款での入札があり、バンコクから入札書類を持って現地入りしました。その案件は無事に受注したのですが、1989年の騒動で案件自体が中止になってしまいました。ミャンマーとの最初の関わりはそこからです。

――その後も継続的にミャンマーに関与されたのですか。

 1990年に日本に帰ってきて、国際業務部の戦略部門に在籍しました。いろいろな新興市場をカバーしていましたが、1995年頃、再びミャンマーが新しいマーケットとして脚光を浴び始め、ミャンマーに出張しました。ちょうどそのころは、その後失脚したキン・ニュン第一書記首相の改革路線が出てきており、アウン・サン・スーチー氏の第1回目の自宅軟禁も解け、民主化への期待が高まった時期です。

 その当時、ミャンマーは国内消費用の石油を買う外貨もないほど、財政的に逼迫していました。そこで、丸紅は与信を付与して彼らのお手伝いをしました。

――それは丸紅単独で取り組まれたのですか?

 そうです。丸紅単独で与信を与えました。これに対してミャンマー政府からは相当評価してもらいました。当時の財政歳入大臣、エネルギー大臣、国家計画大臣を含めて、皆感謝してくれました。