ロッテ後継者を巡る「陰謀」の裏側――周到に準備されたクーデター計画

日韓を股に掛ける巨大財閥を裸一貫から築いたカリスマの重光武雄。その後継者として、事業承継が行われるはずだった長男の宏之。その2人から経営権を奪って、ロッテグループから追放し、後継者の座を手中にした二男の昭夫。そこに至るには、創業者と後継者を追い落とすシナリオに基づき、蜘蛛の巣のように巧妙な仕掛けが張りめぐらされていた。‟クーデター”の開始の号砲となったのは、武雄の「天の声」だった。ロッテの骨肉の争いをめぐる陰謀の裏側を明らかにしよう。(ライター 船木春仁)

虚偽の報告で武雄から引き出した
‟天の声”をクーデターの引き金に

「佃の言うことに逆らっているようだな。クビだ。辞めろ!」

 烈火のごとく怒る武雄を前に、宏之は仰天すると同時に、「いったい、なにに怒っているのだろうか」と考えをめぐらすが、心当たりがまったくない。ただ唖然とするだけだった。

 2014年12月17日、ソウルのロッテホテル34階にある総括会長執務室。月次の営業報告の冒頭に怒号が響いた。当時のロッテグループの重要な経営方針は、“御前会議”ともいうべき毎月恒例の営業報告の場で決定され、ソウルから発せられる武雄の「天の声」に基づいてロッテグループは動く仕組みになっていた。この時、武雄は92歳だったが、ロッテグループを統括する日本のロッテホールディングス(ロッテHD)の会長として君臨していた。

 武雄が言う「佃」とは、ロッテHD社長の佃孝之(当時、以下同)。ロッテHD副会長だった宏之に事業を継がせるための「セットアッパー(中継ぎ投手)」として武雄によって招聘された人物だ。住友銀行専務からロイヤルホテルに転じ、社長、会長を務めた後、09年にロッテHD社長となった。

 かつて武雄は、1年の半分は日本、半分は韓国に滞在して経営を行うという「シャトル経営」を続けてきたが、ソウル滞在中に東日本大震災が起き、地震嫌いと高齢が重なって日本への足が遠のいていた。07年のロッテHD設立による持株会社制移行後、09年に社長の座を佃に譲って会長となり、11年からは韓国ロッテグループの総括会長にも就任していた。ロッテグループの日本事業については、佃と宏之の報告に基づいて最終判断を下すという経営スタイルが定着しつつあった。

 宏之は武雄に対して、偉大な創業者として敬意を持って接してきたが、実の親子だからこそお互いに感情的になりすぎるきらいがあることを承知していた。だからこの時も、「クビだ云々は怒りにまかせた言葉だろうから、ほとぼりを冷ますためにしばし時間を置こう」と日本へ戻った。佃は、「私は宏之氏をトップにするためにロッテに来た」と公言するほど宏之を引き立ててきた人物であり、「言うことに逆らっている」と怒られるような衝突もない。少なくとも宏之はそう思っていた。

 だが、後に判明することだが、佃はこの頃、宏之の頭越しに秘かに武雄を幾度も訪ねては、「宏之が独断でIT関連の新規事業に投資を行い、多額の損失を出した」というウソの報告を行っていた。つまり、武雄を怒らせるために、佃は虚偽の報告を繰り返していたことになる。

 詳しくは後述するが、この「クビだ」という長男へのクビ宣告が、‟天の声”として武雄の口から発せられたことが、用意周到に準備されたクーデターの号砲となり、宏之、ひいては武雄を追放する最終兵器として威力を発揮することになるのだった。

 ちなみに、武雄の‟クビ”発言は周囲にはどう映ったのか。武雄の秘書を長年務めてきた磯部哲は、「(クビだ云々は)武雄会長のお考えや行動などを見ても、その時点でそれが本意だったというふうには私には理解できません。一般の役職員に対しては、会長は面前で『辞めろ』とおっしゃられたことはないと思いますが、お2人の息子に関しては(グループ会社の取締役を)『辞めろ』ないしは『辞めさせるぞ』というやり取りを何回か聞いております。とかくご長男は会長の指示と違うことを会議のなかでもおっしゃる傾向があったようでして、そのときに『自分の指示を聞きなさい』というような意味合いで使っていたようです」と証言する(*1) 。

 社内で“神様”と崇められる武雄といえども、一般社員に「クビだ」と怒鳴れば大騒ぎになるだろうし、実際、そんなことは一度もなかった。息子にだからこそ言える叱責の「クビだ」であった。

*1 重光武雄を原告とする東京地方裁判所「取締役会決議無効確認等請求事件」での2017年1月26日、磯部哲証人調書