実家のあるエリアが
感染者急増でロックダウンに

ある日のお弁当。ヨーグルトのカップがつぶれているなどずさんさが目立つ(写真は著者提供)ある日のお弁当。ヨーグルトのカップがつぶれているなどずさんさが目立つ(写真は著者提供)
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 この人を含む数十人は「施設の食事が衛生面で非常に危険だ」として絶食で抗議したが、それで食事が改善されるわけではなかった。また、同じグループチャットのメンバーが中国のSNSに集団食中毒事件の内容を投稿したが、数時間後に削除された。この男性は中国人だが、長年日本で暮らしてきたため「これが中国の情報統制というものか」と感じたそうだ。

 隔離施設を出た後、3日間の経過観察は親戚が所有する空き家で過ごし、ようやく実家に帰ることができた。実家では80代の父親と妹が首を長くして待ってくれていた。遺骨となった母親と対面した瞬間は、不思議と涙は出なかったが、夜、部屋でひとりになったとき「どうしてもっと早く帰ることができなかったのか」と後悔の念が湧き起こり、しみじみと涙があふれ出たという。

 男性の悲劇はさらに続く。帰宅し、ようやくほっとできたのもつかの間、2日目に自宅がある地区が感染者急増でロックダウンされてしまったのだ。当初は5日間の予定だったが、延長され、結局20日間に及んだ。買い物は3日に1度、1家族1人だけ2時間以内と定められていて、母親の墓地や埋葬の手配や父親の病気治療や老人ホーム入居に関する手続きなど、予定していたことが一切できなかった。