7+3日の隔離先は、
未完成の汚い「鬼城」だった

隔離施設の一室。入った瞬間、部屋が散らかっていて驚いたと男性は話す(写真は著者提供)隔離施設の一室。入った瞬間、部屋が散らかっていて驚いたと男性は話す(写真は著者提供)
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 この時点で現地の隔離政策は「7+3」(7日間の隔離施設+3日間の経過観察)。フライトは実家がある都市に就航していたため、到着後、そのまま隔離施設に移送されたが、移送先はホテルではなく、市内からおよそ100キロも離れている巨大なマンション群だった。

「そこは不動産開発の行き詰まりで未完成のまま放置されたり、入居者が集まらずに廃れたりした、いわゆる鬼城(ゴーストタウン)。つまり、誰も住んでいないマンションの一室です。滞在費は1日450元(約9000円)するのに、部屋に入った途端、とても汚くて驚きました。しかし、同じ便で到着した百数十人のグループチャットには、私の部屋よりもさらにひどい部屋(カビが生えた枕カバー、ゴミが散乱した床、内装途中の壁)の写真が投稿され、こんなところで1週間も過ごすのかと愕然としました」

 隔離経験者からよく隔離施設が「当たり」「ハズレ」と聞いたことがあるが、この人の場合、完全なハズレ。同じフライトの百数人の中には日本人や韓国人もいたが、皆、施設に着いた途端「ハズレ」であることを知り、顔面蒼白(そうはく)だったという。しかし、問題はこの先。隔離4日目、集団食中毒が発生したのだ。

集団食中毒発生
しかし薬はもらえず、救急車は自己負担

「夕食に出たお弁当の中に入っていた豆腐料理を食べてすぐに、ちょっと変な味がするなと思ったのですが、私はそのまま食べてしまいました。夜11時頃になって急に激しい腹痛に見舞われ、下痢や嘔吐(おうと)を繰り返し、一晩中眠れないだけでなく、39度近い高熱が出て、一睡もできませんでした。自分はこのまま死ぬんじゃないかという恐怖に襲われたほどです。隔離施設の担当者に薬を頼みましたが、隔離中に薬は出せない決まりとのことで拒否されました」

食中毒の原因になったと思われる弁当。右上が問題の豆腐料理(写真は著者提供)食中毒の原因になったと思われる弁当。右上が問題の豆腐料理(写真は著者提供)

 筆者の中国人や日本人の知人はみんな「隔離中に薬は絶対もらえない」ことを知っており、スープやカップ麺などの非常食、清潔なタオル、あらゆる市販薬などを準備万端整えて持参していた。筆者もそのことを聞かされていたので、中国に行く人は誰もが知っている情報だと思っていたが、男性は「全く知らなかったんです」。数年ぶりに会う親戚一同へのお土産や、家族のことで頭がいっぱいで、そうした情報は抜け落ちていたそうだ。

 男性は毎日のPCR検査で陰性であったことと、食中毒の症状がますますひどくなったため、救急車を手配してもらった。食中毒患者は計11人に及び、救急車で再び100キロも離れた市内の病院に搬送。点滴を受けて、九死に一生を得た。

「通常、中国で救急車を呼ぶのは自己負担で、私も最初は700元(約1万4000円)支払ったのですが、後になって、私たちの救急車費用と入院費用はすべて施設側が支払うことになり返金されました。食中毒であることを彼らが認めたからだと思いました。それにしてもひどい話ではないですか。怒りに震えました」