本書の著者である横山教授も、物理学や数学に「男性が得意とする科目」というイメージが強いことから、「思春期を迎えた女子生徒が男っぽく見られるのを嫌って、理系科目に苦手意識を持つこともある」と推測している。

 ステレオタイプ脅威は、まさに冒頭で触れた「そういうもの」の弊害といえるだろう。

 ちなみに、筆者の同僚の女性の娘さん(小学1年生)は「好きな教科は算数!」と言っているそうだ。「そのまま数学や理科が得意になって理系に進めば素敵なことだ」と同僚は考えているそうだが、ステレオタイプ脅威が将来の選択肢を狭めないことを祈りたい。

日本にはもっと理系女子の
ロールモデルが必要

 横山教授は本書で、日本と英国における自身の研究を踏まえ、日本には理系女性研究者のロールモデルが足りないと指摘。もっと若手の女性物理学者や女性数学者たちが注目されるべきだと主張している。

 その研究では、日本と英国(イングランド)在住の、20歳から69歳までの男女約1000人(男女比はほぼ半々)を対象に「数学と物理学」にまつわる質問を行った。

 質問内容は「当該分野の男性的カルチャー」「幼少時の経験」「自己効力感の男女差」「性差別についての社会風土」に関するものだ。

 その結果、イングランドでは「物理学における女性のロールモデルが思いつかない」と答えた人ほど「物理学に対して男性のイメージが強い」という傾向が見られた。一方で、日本ではこの項目に有意な結果が出なかったという。

 この文面だけを見ると、「日本では物理学に対するステレオタイプが希薄であり、意外とジェンダー差別がない」と思えるかもしれないが、実際はそうではない。

 日本ではロールモデルそのものが現状ほとんどないために、物理学とジェンダーを結び付けて考える人のサンプル数も少なく、有意な結果として表れなかったのだ。

 ここからは私見だが、理系女子学生や女性研究者を「リケジョ」と呼ぶのが一時期流行した。筆者も当時関わった媒体で、横山教授を含む何人かの「リケジョ」を取材したことがある。

「リケジョ」という呼称には、ジェンダー差別を助長するものとして批判の声もある。理系に女性が希少であるゆえの呼称ではあるが、女性が多い看護学部や文学部の男子学生を「カンダン」「ブンダン」と呼ぶことはない。「女性は理系科目が苦手」という意識の裏返しの揶揄(やゆ)的な呼称ともいえるのは確かだ。

 しかしながら、横山教授が主張するように、当面めざすべきは「理系女性のロールモデル」の可視化だとすれば、そのためにプラスの意味で「リケジョ」という呼称を用いるのは有効な手段となるのではないだろうか。

 女性が「理系を選んだ少数派」ではなく「憧れの存在」として「リケジョ」を見るようになるのが理想的だ。

「リケジョにならない」のが普通であり、世の中の大多数が「そういうもの」だと思っていたら、将来の貴重な人材の可能性をつぶすことにもなりかねない。