自己肯定しない苦しさの中で
「もがき苦しむ」ことの大切さ

 本当の自己肯定感につながる心の強さや、苦しい中でも前向きに頑張っていく姿勢を身に付けていくには、ただ表面的に自己肯定しているだけではダメなのである。

 思春期になると自己意識が高まり、周囲の同級生たちと比べて自分が未熟なように感じたりして、「こんな自分じゃダメだ」「自分をもっと何とかしなくては」などと、ある意味で自己否定しつつ、何とか自分を立て直そうともがき苦しむ中で、自己形成が進んでいく。そのようにもがき苦しみながらも成長しつつある自分を感じることが、上辺だけではないほんとうの自己肯定感につながっていくのである。

 児童期までは、「自分が好き」「自分に満足」などと自分を肯定する子が多いのに、思春期になると「自分が嫌い」「自分に不満」などと自己否定的な心理に苛まれ、自己嫌悪に陥ることが多くなる。

 それは、認知能力の発達によって、抽象的思考が可能になり、「こんな自分でありたい」という理想の自己を意識するようになるからである。そんな理想像と比べて、情けない「現実の自分」、まだまだ至らない「現実の自分」にいら立ち、自己嫌悪するのである。

 そこには、思春期から青年期は、親によってつくられてきた自分をいったん棚上げして、自分なりの価値観をもとに、自分をつくり直すという課題に直面するということも関係している。

自己否定による自己形成が、
自己肯定感につながる

 こうしてみると、自己肯定するばかりでは、今の自分を乗り越えることなく今の状況に安住してしまいがちであり、理想自己に向けての自己形成が停滞してしまうということが分かるはずだ。

 私自身の学生時代を振り返っても、自分の進むべき方向に迷い大学から姿を消していく友だちがいたり、同じく自分を見失い留年して哲学や精神分析の書物を読みふける友だちがいたり、そんな友だちと語り合いながら理系から文系への転部を考える自分がいたりと、多くの学生が自分の現状を否定しながら、どうすべきか悩み、もがき苦しんでいた。

 自分の現状に「このままではダメだ」と思い、もがき苦しみながら自分の道を見つけ、軌道修正する。しばらくすると、また「このままではいけない」「何とかしなければ」という心の声が聴こえてきて、再度もがき苦しみながら自分の道を見つけ、軌道修正する。そうしたことの繰り返しが自分の人生を歩むということではないだろうか。

 こうしてみると、自己肯定できないというのは決して悪いことではなく、むしろ成長を志向する心の持ち主である証拠ともいえる。べつに自己肯定感が低いなどと悲観することはない。