菅義偉が今こそ明かす「官邸の決断」の内幕…官房長官8年、総理1年の真実

官房長官としての約8年、総理としての1年――。「決断」の連続だった官邸の日々を今こそ語ろう。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

「国民にとって当たり前」の政治を
阻む原因の多くが「縦割り」行政

「全ては、国民のために」

 約8年にわたる、内閣官房長官という立場で過ごした総理官邸での日々を一言で表せば、まさにこれに尽きると思う。

 私が政治家を志して以来、一貫して志向してきたのは、国民目線、すなわち「国民にとって当たり前」の政治を実行するということだった。国民から見ると不合理なこと、非効率なことが行われている事例は、今もまだまだ至る所にある。政治の役割とは、「国民にとって当たり前」のことができずにいる場合、その原因や障害を取り除くことでもある。

 これらの「当たり前」でない事例は、多くの場合、省庁間の「縦割り」行政が原因になっている。この連載でもさまざまな事例を挙げていくことになるが、例えば、災害が予想される際のダムの事前放水の問題。あるいは平和安全法制のような関係省庁をまたぐ国家の大きな枠組みを巡る問題。観光立国や農林水産業改革を推進する上での問題。国民目線に立てば、「なぜ、相談して一緒にやればうまくいくことを、省庁が違うことを理由にやらないのか」となるだろう。これを解消するのが政治の役割だ。

 この「縦割り」を解消し、常日頃から担当省庁間の柔軟な意思疎通や活発なシミュレーションを重ねておけば、いざというときの迅速な対処が可能になる。そして悪しき先例主義にとらわれず、国民にとって最善、最適な政策をできるだけ早く、多くの選択肢の中から選ぶことができる。

 つまり行政の「縦割り」打破は、あくまで「国民にとって最善の手を打つために、今何をすべきか」という目的を達成する手段にすぎず、決して「官僚から力を奪う」ことを目的としたものではない。

 行政上の非効率は、官僚たちの潜在力を引き出せず、ひいては国民に不利益をもたらす。「縦割り」は行政の非効率につながることが多くなったからこそ、「打破」が必要になったのだ。