情報発信の勘違い

(1)SNSでの幸せのシェアは好かれない

 まず、楽しそうな旅行の写真自体がSNSの情報発信として好かれないことを指摘したい。これは強力な一般論である。

 フェイスブックやX(旧ツイッター)のようなSNSで、旅行の風景やグルメ体験など「幸せな経験」を「シェア」することが広く行われているが、これは投稿する本人が思うほどフォロワー・読者に好かれていない。むしろ嫌われている。

 フェイスブックなどでは、「いいね」ボタンがたくさん押され、好意的なコメントが入るが、これは投稿者と親しい人からのものであり、一般人から見ると「どうでもいい」し、潜在意識まで降りると投稿者の幸せな状況のアピールは少々うっとうしい。

 筆者は、SNSの中でフェイスブックが今一つ好きになれないが、一つの理由は、本人的には幸せをシェアする投稿が、しばしば同窓会での自慢話的なニュアンスを帯びていて「年寄りくさいにおい」が鼻につくことがあるからだ(ちなみにもう一つの理由は、利用者の情報を商品として売り飛ばすフェイスブックのビジネスがあまりにえげつないから)。

 ごく親しい間柄のシェアならいいのではないか、という意見はあるが、親しい間柄だと我慢ができるというのが、実は実態に近いのではないか。「ああ、あいつは元気なのだな」という以上の情報価値はない。

 レアで価値のあるグルメ情報が提供されているような場合は別だが、「××で、○○をいただいた。大変おいしかった」というような自分話をせっせと投稿する行為は「ほほ笑ましい」を通り越して、「もの悲しい」と思うことがしばしばだ。メシや旅以外に伝える価値のあることがない人生なのか。

 筆者にも経験があるが、SNSの使い始めには、自分の発信に「いいね」などの好意的な反応が付くと、ある種の手応えを感じて気分が舞い上がる一時期がある。