「軍神」から「戦犯」へ、戦後の大逆風下で“小さな大企業”を育てた元軍人の生き様戦後、軍人たちはどんな道を歩んだのか。写真は沖縄県の旧海軍司令部壕 Photo:PIXTA

知る人ぞ知る有名企業を創業したのは
「トラ・トラ・トラ」を発案した人物?

 人は時として時代や社会の渦に巻き込まれることがある。そうしたとき、どんな逆境も跳ね返し、与えられた人生を生き抜く。そして社会への貢献を怠らない。それが真のエリートなのかもしれない――。

 港町・神戸。地元企業が居並ぶ工場街にして下町として知られる、神戸市兵庫区。ここに吉岡興業株式会社という地元企業がある。機械業界界隈では知る人ぞ知る、エンジニアリングを専門とする商社だ。その創業者の名は吉岡忠一という。この名を目にして、もしかするとピンとくるものがある人がいるかもしれない。

 もし、そうした人がいたならば、その人は、よほどの海軍通、とりわけ昭和時代の日本海軍の事情に精通している人だろう。

 1941年12月8日、太平洋戦争開戦時、日本海軍は米国ハワイの真珠湾を攻撃した。このとき日本海軍機が発した、今日でも伝えられる有名な暗号電文がある。

「トラ・トラ・トラ(ワレ、奇襲ニ成功セリ)――」

 この暗号電文を発案した一人といわれるのが吉岡忠一海軍少佐(当時)、その人である。開戦時は攻撃部隊である第一航空艦隊航空参謀として、攻撃部隊の航空作戦における仕切り役のひとりとして知られる、歴史の一コマに名を残す人物だ。最終階級は海軍中佐だった。

 1945年の敗戦を、吉岡中佐はフィリピン・ルソン島で迎える。そして帰国後、現在の吉岡興業の前身となる吉岡商会を設立。後に吉岡興業の創業経営者として辣腕を振るい、後進にその途を譲った。明治、大正、昭和、そして平成の世を生き抜いた吉岡は2000年にこの世を去る。

 それにしても、真珠湾攻撃の立役者のひとりとして知られる歴史的な元海軍将校が、なぜ地元で企業を創業するに至ったのか。その道のりをなぞると、平和な時代に生きる私たちが忘れている何かを思い出させてくれる。

 太平洋戦争の敗戦で、旧陸海軍は解体、消滅した。これにより職業軍人たちの多くは、それまでの階級、実績を問わず、実質、丸裸に。何の身分保障もない状態で、戦後の混乱著しい世の中へと放り出された。吉岡もまたその例外ではない。