詩人ゲーテが「エリート政治家」の職を投げ出してイタリアに脱出した理由Photo:PIXTA

『若きウェルテルの悩み』などで世界文学史に名を残すゲーテ。実は世界史最高レベルの教養人であり、ワイマール公国の宰相や閣僚を経験した政治家でもあった。筆者は、レオナルド・ダ・ヴィンチと並び得る「万能の天才」と思うわけだが、果たしてゲーテの魅力とは? 25歳でベストセラーを刊行後、宰相に上り詰めるも37歳で職務を放りイタリアに向かったゲーテの半生を紹介したい。(著述家/国際公共政策博士 山中俊之)

ポストコロナの街としても学びがある
国際金融都市フランクフルト

 個人的な話だが先日、ドイツ・フランクフルトに出張した。フランクフルトは、欧州中央銀行、ドイツ連邦銀行、ドイツ銀行などが拠点を構える国際金融都市である。2020年に英国がEUを離脱(ブレグジット)したこともあり、その役割はいっそう高まっている。このような世界的金融センターであるにもかかわらず、人口は約76万人(2020年)ほどであり、街全体に緑があふれている。

詩人ゲーテが「エリート政治家」の職を投げ出してイタリアに脱出した理由フランクフルトの街並み 筆者提供画像

 実際に過ごしてみて、人口と街の規模のバランスがちょうどよく、住みやすい街だと感じた。ドイツは分権的な国家として知られる。ポストコロナの時代、過度に集中しない街づくりのあり方としても学ぶ点が多いと思った。

 ところでフランクフルトは、世界的な文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)の出身地でもある。街の至る所でゲーテの肖像を見ることができ、フランクフルトにある総合大学は一般的に「ゲーテ大学」と呼ばれている。

 せっかくの機会なので、ゲーテが生まれ育った「ゲーテ・ハウス」を訪問した。フランクフルトの中心部を流れるマイン川近くにある、4階建ての瀟洒な豪邸だ。相当に裕福な家庭の出身であることが分かる。当時からフランクフルトは、芸術家の集う文化の薫り高き街だった。

 ゲーテは、この生家で20歳代半ばまで過ごし、代表作『若きウェルテルの悩み』をここで執筆したといわれる。ゲーテが使ったとされる机を前にすると、自らも恋に悩みながら小説を書き上げた文豪の息遣いが聞こえてきそうだった。

 さて、日本でゲーテというと「詩人」のイメージが強いかもしれないが、実は世界史最高レベルの教養人であり、ワイマール公国の閣僚、宰相を経験した政治家でもあった。筆者は、レオナルド・ダ・ヴィンチと並び得る「万能の天才」と思うわけだが、果たしてゲーテの魅力とは? 25歳でベストセラーを刊行後、宰相に上り詰めるも37歳で職務を放りイタリアに向かったゲーテの半生を紹介したい。