組織をつくらなくても住みやすい街はつくれる! ミラノの「厄介な地域」が実現した変革とは

企業において、課題を解決しようとする場合、新しい組織やプロジェクトがその主体となって取り組みを進めていくケースがほとんどです。しかし、街づくりにおいては、なるべく多くの人が関われるようなアプローチが、大きな力を生み出すことが少なくありません。リーダーなきコミュニティーが、地域のリソースを再編成し、住みやすい街をつくり出したケースを紹介します。

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国内外から移り住んできた人々で構成された「危ない街」

組織をつくらなくても住みやすい街はつくれる! ミラノの「厄介な地域」が実現した変革とはNoLoの真ん中を通るモンツァ通り

 ミラノ市の北東部に位置する「NoLo」と呼ばれる地区があります。対象地域としてはミラノ中央駅の東側、ロレート広場に接続する通りの北側、そして鉄道の線路の南側に当たります。およそ2万5000人の住民がおり。前回の地図を参考にすれば、薄い赤で塗りつぶしたエリアの右上の外縁、「LORETO」と示された周辺に当たります。NoLoとは、ロレート広場(Piazzale Loreto)の北側(Nord)を意味しており、米国ニューヨークの「South of Houston Street」の略称として名の知れた「SoHo」になぞらえて、ミラノの建築家やクリエイターたちが仲間内で使い始めたことがきっかけです。その後、ソーシャルメディアを通じて一般に広がり、2019年、ミラノ市が正式名称として採用しました。このエピソード自体がボトムアップといえるでしょう。

 この地区に詳しいミラノ工科大学デザイン学部准教授のダヴィデ・ファッシが、エツィオ・マンズィーニの著書『Livable Proximity』(邦題『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』Xデザイン出版、11月出版予定)に書いた解説を基に話を進めます。

 第2次世界大戦後、この地域にはイタリアの各地から移り住んできた人たちが、多く集まっていました。第9回のオルチャ渓谷の記事で書いたように、1950年代、高度経済成長と農家の自立を図った政策によって離農者が都市に集まり、都市の過密化がどんどん進みます。そうした動きの中、NoLoはミラノにおける労働者の受け皿の一つになるのです。

 それが、20世紀末あたりから住民の構成が変わっていきます。アフリカ、中近東、アジア、南米といったさまざまな地域からの移民が増えたのです。結果、ミラノ市全体の外国人比率19%に対し、NoLoは34%に及ぶまでになりました。10年ごろの新聞記事では、ここで多発する犯罪とその取り締まりのいたちごっこが社会問題として指摘され、NoLoは「(犯罪が多く)危険」「貧困」というイメージで認知されていきます。