「うちの子さえ賢ければいいんです。」
一瞬この言葉だけ聞くと、世間の反感を買いそうだ。なんだか、自分さえよければ……というような印象を受ける。
でも、このたび『カヨ子ばあちゃんの うちの子さえ賢ければいいんです。』を刊行した「脳科学おばあちゃん」こと、久保田カヨ子氏(80)は、「うちの子さえ賢ければいい」と思って、ご自身のお子さんを育てたとのこと。
はたして、その真意はどこにあるのだろうか。
「うちの子さえ賢ければいい」
――そう思って育てたのは、間違っていなかった
私には2人の子どもがいます。
正直、自分が子どもを育てるにあたっては、「うちの子さえ賢ければいい」と思って、育ててきました。
結論を言えば、その育て方は決して間違っていなかったと断言できます。
なぜなら、自分の子どもによかれと思ってやってきたさまざまなことが、いま、多くのお子さんやお母さんの幸せにつながっていると自負しているからです。
「うちの子さえ賢ければいい」というのは、利己的な考えから言っているのではありません。
よく考えてみてください。
誰だって自分の子どもはかわいい。でも、その子どもが周りの子どもに比べて、どうも言葉の数が少ない、動作や行動が遅いとなれば、親としては不安にさいなまれることでしょう。
「あの子は言葉数が多いけれど、どういう教育をしているのかしら」
こんな思いが、AくんやBちゃんに向けられてしまうというのが本音です。
まだ子どもが1~2歳のころは、どこの家のお子さんもほとんど差はありません。なので、あまりこのような思いを持つことはないのですが、3歳ごろから小学校に上がるころになると、少しずつ発達の差が見えてきます。
かけっこをすれば、Aくんのほうが速い。
「あいうえお」を覚えさせようとすると、Bちゃんのほうがしっかり発音できる。
このような差が目に見えてはっきりしてくると、他の子のすぐれているところばかりが目についてきます。
しかし、そういうことではないのです。
他のお子さんと自分の子どもを比べる必要はないんです。
それぞれの親がいて、それぞれのお子さんがいるのは当然です。
他のお子さんと比べるのではなく、自分たち両親の哲学と価値観で、自分たちが考える“賢さ”を、子どもに身につけてもらえばいいのです。
それが、“うちの子さえ賢ければいい”という本当の意味合いです。
だから、まずは自分の子どもが、自分たち両親の考える“賢い子”になるように、懸命に子育てをしてください。
人として、万物の霊長として産まれた赤ちゃんは、産んだ両親はもちろんのこと、まわりの保護者が一所懸命に育てていく必要があります。