日本視察も…中国の若手農業人を引き連れネットワーク化

 陳さんは台湾で、桃米生態村のリーダー・廖嘉展氏、パイナップルの銘菓「鳳梨酥」を作る「微熱山丘」の許銘仁氏、農業組織「両佰甲」に深く関わる頼青松氏などと親しくなり、いろいろと成功経験を仕入れてきた。「台湾の訪問で農業でも事業を展開することができるという自信を得た」と陳さんは振り返る。

 もちろん、全て順風満帆にはいかない。その成功を見て、逆にこれまでの無能が露呈されたと古い幹部からの逆恨みを受け、かなり苦悩していた時期もあった。

 大ヒット商品となった台湾のパイナップルケーキの成功を見て、ライチを生かしたコピー商品の開発にも挑戦したが、市場判断が甘く、商品開発が見事に失敗し、大損してしまったこともある。

 さらに、台湾や日本の民宿を見て、果敢に海南省内最初の民宿を開いた。ところが、民宿の商標登録は「中国語にない表現で、日本語としての商標登録は駄目だ」と認められなかった。商標登録はうまくいかなかったが、先駆者の意地でその表現にこだわりを見せ、ずっと民宿という表現を使ってきた。

「いまは中国のどこでも民宿という言葉が使われている。海南省は経済特別区でありながら、他の地方と比べ、やはり保守的なところがある」と陳さんは嘆く。

 陳さんは、台湾の農家などを訪問しているうちに、台湾の成功には日本からの影響がかなりあったことに気付いた。そこで2013年から、日本に来て、魅力的な故郷の再生を呼びかける西村幸夫氏、半農半Xという生き方を提唱する塩見直紀氏、6次産業を提唱していた故・今村奈良臣氏、11年間も四万十川周辺の道の駅の経営を任せられていた畦地履正氏などから、いろいろと学んだ。

 私の案内で高知県の馬路村、熊本県のたまご庵、山梨県の萌木の村なども訪問した。 日本の一村一品運動、6次産業、道の駅に対して特に大きな関心を示した。近年、海南省に道の駅のような施設をつくるべきだと同省の幹部たちに提案し、その実現に情熱を燃やしている。

 一人だけで走っても広い中国の農村の様子を変えることはできないと認識した陳さんは、故郷再生の若い仲間のネットワークづくりに没頭している。これまで新しい農村をつくろうと意気込む「新農人」たちを何回かに分けて、日本視察に連れてきた。

「その人数はすでに200人くらいになっている。しかし、まだまだ足りない。もっと多くの若い企業家たちを日本視察に連れて行きたい」と陳さんは鼻息が荒い。それと同時に、50人ほどの規模の海南省内における新農人ネットワークの構築作業も完成に近づいている。

 農村に戻り農業をベースに事業を興す陳さんのような「新農人」の陣営は、日に日に大きくなっている。私は、彼らの目から見た中国社会と農村の現状と課題を、日本や韓国、東南アジア諸国などの人々にも知ってもらいたいと思って、2000人近くの乗客を乗せて世界一周の旅をするクルーズ船で陳さんにスピーチしてもらった。

 陳さんにも火山村、海南省、そして中国だけではなく、世界により広い市場が存在していることを実感してもらいたいと思っている。私も2週間に及ぶこの旅行に同伴し、得るものが多い学びの旅となった。

(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)