ある農村出身の青年の挑戦と成功

「三農(農業、農村、農民)」問題は、中国経済の発展の足を引っ張る大きな問題となっている。農村と農業をどう振興させるべきか、そして農民にどう豊かになってもらうべきか――。これが今、中国政府が直面している大きな課題だ。

 そんな中、中国のSNSである微博(ミニブログ)を通して、海南省の火山村出身の陳統奎さんの行動に関心を持つようになった。2011年から私は陳さんの日本訪問などの活動を積極的にサポートしてきたので紹介したい。

 ライチを作る火山村では、陳さんは村で初の大学生として知られた。名門・南京大学を出た後、雑誌「南風窓」の記者となり、やがて新華社通信の記者である女性と結婚し、上海で暮らすようになった。村では人生の成功者として評価された彼だが、09年に、村おこしを目標に定めて火山村に戻り、中国のUターン組の若い先駆者となった。

 火山村の正式な名前は博学里。人口300余人、土地面積2.64平方キロメートル(その約60%はライチ林)だ。車で移動すれば、海口市の中心部からも空港からも、30分の距離だ。地理的に恵まれているが、火山岩でできた火山村の最大の悩みは、果樹の栽培に必要な水がなかなかたまらないことだ。

 当時、陳さんは村長から「記者のあんたは村に貢献していない。村民は水不足のせいで栽培したライチが不作になり、生活が苦しい」と言われたので、地元の市の共産党書記に直訴の手紙を出し、数カ月後に政府の力で、村に初めての井戸ができた。村が自分を必要としていることを初めて実感したという。

 その後、取材で台湾を訪問し、農業開発先進村・桃米里の存在を知り、その成功経験に感動し、同村と火山村との姉妹村関係の樹立を提案し、実現にこぎ着けた。その辺りから、火山村の発展と自らの使命との関係を認識し、Uターン組の一員となる決意を固め、故郷に戻り、農民の生活水準を向上させるために、ライチの有機栽培を農民に推奨し、そのブランディングとインターネットを通しての販売作戦に挑戦し始めた。

 狙い通り、作戦は成功した。これをきっかけに、政府からの資金を誘致して村を巡るマウンテンバイク専用道路をつくったり、大手会社の支援を受け、マウンテンバイクの競走や韓国アーティストの創作滞在などのイベントを手掛け、村の知名度を効果的に高めたりした。そうしてライチの販売も促進でき、農民もみるみるうちに豊かになった。

 その成功を高く評価した政府はさらに資金的支援を強化した。そのため、村に2番目の深い井戸を掘ることができ、ライチ栽培の環境をいっそう改善できた。