県立校の居抜きで始めた開智未来

――2校目となる開智未来が埼玉県内でも北東端の利根地域にある加須市になった理由は。

青木 県立高校の統廃合が進む中、加須市(当時は北川辺町)にあった県立北川辺高校も2010年3月での廃校が決まりました。そうすると、文化的な拠点としての県東北部の高校がなくなってしまう。それで、私立校にオファーがあったようです。

 ところが、誰も手を挙げない。そうしたら水面下で、僕に話が来ました。閉校の3年くらい前のことでした。

生徒の学びを変える「開智」モデルの学校づくりで手掛けたこと[聞き手] 森上展安(もりがみ・のぶやす) 森上教育研究所代表。1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、88年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。

――それは、経営が成り立つとは誰も思わないでしょうしね。

青木 県立高校の跡に私立校ができるなどとは普通思いませんよね。この件のキーパーソンのところにごあいさつに行きましたら、「開智さんやってくれるのか。うれしいよ」と、その場で当時の町長(2010年に北埼玉郡の3つの町と加須市が合併して新たな加須市に)に電話しちゃうんですよ(笑)。

――そのあたり、政治家はうまいですね(笑)。利根川を越えた先にある利根地区は、栃木県や茨城県との県境で、地理的には群馬県みたいなものです。

青木 相談に行ったら、引き受ける話になってしまいました。まだ県立高校の生徒が在校している段階での話でした。新しい学校にする際、1年は間を空けたかったのですが、加須市からは時間を空けてくれるなと。10年の3月に最後の生徒の卒業式を終え、4月には開設準備室を立ち上げました。

――県の土地を市が購入して、学校に貸すような契約でしたね。経営的にはいかがでしたか。

青木 県立とは違い、私立ならば県境に関係なく近隣の群馬や栃木、茨城からも生徒を募集できます。大学進学も考えると、いろいろなコースもつくりたいので、もう少し定員を増やしたい。高校は定員を増やせず、それだけでは経営が成り立たないので、中学校を新設することにしました。校舎も2棟建て増して、中学で120人、高校は内部進学を含め200人の募集枠としていきました。

――経営的には学年200人を超えないと大変です。県立から私立になると、先生の確保にご苦労されたのでは。

青木 県立校の先生は全員異動するので、校舎は残されても教員はゼロになります。そこで開校前から、できるだけ先に教員を雇っておくようにしました。県立高校の校長を歴任されてから開智高校の校長に就いていた関根均先生に開設準備室長をお願いして、11年4月に開智未来中学・高等学校の初代校長になっていただきました。

――兄の関根郁夫さんが県の教育長を務めた「関根三兄弟」の弟さんですね。

青木 関根先生も僕と同じようなところがあって、県立校の枠に収まらない方で、県立ではできないことをやりたいとおっしゃっていました。

――こちらでは開智のように付属の小学校は考えなかったのですか。

青木 小中高一貫教育が望ましいとは思いますが、立地的に諦めました。