日経平均株価「たかが高値更新」の裏に隠された「されど高値更新」の持つ真の意味とは?Photo:PIXTA

日経平均株価が1989年末に付けた最高値をようやく更新した。ついに実現とお祭り機運もあれば、足元の相場をバブルではないかという疑問も聞こえる。しかし、34年前の株価更新には象徴的な意味しか見いだせない。重要なことは、今の株価を形成している内実を適切に認識することである。通過点にすぎない「たかが高値」の裏に、今後の日本、そして投資の指針になる「されど高値」の実態が浮かび上がる。(楽天証券グローバルマクロ・アドバイザー TTR代表 田中泰輔)

34年前の日経平均と今の
日経平均は似て非なるもの

 2024年2月22日、日経平均株価は1989年12月29日に到達した3万8915円の歴史的最高値を更新した。金融業者やメディアは、連日今か今かと高値更新をはやしてきた。業者の中にはくす玉を用意しているという報道もあった。しばしお祭りムードだろう。

 しかし、この高値更新は、単に象徴的・心理的な意味合いしかない。「たかが新高値」であり、通過点ほどに考えれば良い。むしろ、この価格水準がどう形成されているかの実質的意味を適切に知ることで、今後の投資につながる視座が得られる。そこには「されど新高値」の構図が浮かび上がる。

 日本経済に脱デフレの兆しが見え、失われた20年、30年を抜け出す芽が出てきている。このため、あちこちの論調で「30余年ぶり」という表現が見られるようになった。しかし、株価、ドル円、インフレなど、経済や市場の現象を単一の尺度で長期比較する場合、実質的に似て非なるものを基準にし、ただ並べているかもしれないことを留意したい。

 たとえば、1990年前後には、株式の世界時価総額ランキングのトップ50社中32社が日本企業だったという比較基準である。近年それがトヨタ1社になっており、日本はこんなに廃れてしまったとする悲観的な解説をよく目にする。

 日本がじり貧になったことは確かである。しかし、90年当時、バブルで異常に高まった日本の株価を比較の基準とすることには、違和感があるという以上に、誤解を生むと案じている。

 それはあたかも、強烈な筋肉増強剤を使って出した世界記録のようなものだった。その後、30年もひどい後遺症に悩まされ、ようやく正常を取り戻しつつある今になって、「あの時の栄光は」と語っているようなものだ。

 日経平均株価も、それを構成するウエート上位20社を見ると、90年当時は、バブルで潤った銀行・証券が半分を占めた他、NTT、トヨタ、電気機器会社が名を連ねていた。今もトヨタ、NTTなどはランクインしているが、ソフトバンク、ユニクロ(ファーストリテイリング)、ハイテク機器会社と、大半の顔ぶれは様変わりしている。

 日経平均株価など株式指数では、時代の変遷とともに企業の栄枯盛衰があり、銘柄入れ替えがなされる。その際、指数の連続性を考慮していることは言うまでもない。それでも、あのバブル期の指数と現在の指数では、似て非なるものの比較であり、分析的には実質的意味を見いだしにくい。

 逆に、バブル期の日経平均株価を追い抜いたことで、今がまたバブルではないかという疑問もよく耳にする。しかし、この疑問を抱いたなら、その解答を追求することで、比較する意味のなさを容易に見いだせるだろう。

 次ページ以降、今回の高値更新がバブルかバブルでないのかとともに、高値更新の持つ意味を検証していく。