社員の反発にあったとき
救ってくれたのは“外からの血”

「跡取りは長男」は昔話か、多様化する事業承継で息子・娘が起こした経営革命竹内香予子社長。大学卒業後、産経新聞社を経て、2010年に家業の平安伸銅工業に入社。自宅では、至る所で突っ張り棒を活用  写真提供:平安伸銅工業

 2010年、平安伸銅工業に一社員として入社。「製造業のビジネスも経営も、何も分かっていなかった」と当時を振り返る。

「社会人経験はあるものの新卒と同様で、周りの反応は『よう分からん子が入ってきた』という感じ(笑)。意気込んで会社に入ったけれど、即戦力にもなりえないし、会社に貢献しようにもどうしていいのか分かりません。焦ったり、モヤモヤしたりしました」

 入社当時は先代のトップダウン経営で、番頭も不在。財務、人事、開発、生産管理等をはじめ、細かい部分まですべて先代が指揮していたので、直接教えを乞うことも多かった。

 まずは開発の部署に入り、中国工場の生産および品質管理、サプライヤーとのやり取りを学ぶ。商品の図面を理解できた方がいいので、CADを習得して簡単な図面を引く練習もした。しかし、入社して1年たった頃に先代の体調がさらに悪化。香予子は急きょ、取締役総務部長となり“社長見習い”として、経営に携わることになる。

「バタバタと経理や銀行対応の習得に追われるようになりました。経営層として重要な意思決定をしたり、会社の仕組みの変更に着手したり、さらに未来の計画も立てなければならない。社外の経営者コミュニティや勉強会に参加して視座を高めながら、実践を積んでいきました」

 急に「後継ぎ」としての役目が重くのしかかってきたが、すんなり経営層に移行できたわけではない。当面は既存事業のオペレーションを見直して改善していこうとする香予子に、社員の反発という壁が立ちはだかった。

 例えば、当時は商品開発のスケジュール管理がされておらず、出来上がった日が発売日、というような状態。進捗を共有し、工程を管理すれば作業効率も上がると提案したが、「今さら工程管理などしなくても、自分たちは一定のスピードで商品を作っているし、ちゃんと納期までには出している。なぜわざわざそんなことをする必要があるのか」と誰も協力してくれなかった。

 そこには面倒なことをしたくないという社員の本音が見え隠れする。どうやって反発を乗り越えたのか。

「結果的には“外からの血”が窮地を救ってくれました。私の改革に賛同して入社した若手社員が、前職の経験を生かしてオペレーションの改善をサポートしてくれたのです」