「起業家が後悔しないための本」をコンセンプトにした、『起業家のためのリスク&法律入門』が発売されました。実務経験豊富なベンチャーキャピタリストと弁護士が起業家に必要な法律知識を網羅的に解説した同書より、“スタートアップあるある”な失敗を描いたストーリーを抜粋して紹介します。第2回のテーマは「反社」と「反市」です。(執筆協力:小池真幸、イラスト:ヤギワタル)

マッチングサービスで出会った“エンジェル”

「どんなに事業が成長していても、これではIPOは無理ですね」

 気がついたときには、完全に手遅れだった。ずっと夢見てきた「上場」の二文字が、音を立てて崩れ去っていくのがわかる。もう少しだけでも、慎重に準備していれば──。

 話は、1年前にさかのぼる。

 渋谷駅を出て10分ほど歩き、丘を越えたところにある、チェーンのファミリーレストラン。「一緒に世界を変えよう!」と決めた、僕と共同創業者のN。そこから約2週間、完全にランニングハイ状態でほぼ毎日朝まで議論を重ね、CtoCマッチングサービスのビジネスプランを完成させた。

 さらに2週間ほど、想定ユーザーへのヒアリングも重ね、構想をブラッシュアップ。決起の日から1か月ほど経ったときには、プロトタイプの開発にも着手した。

 いつ似たようなサービスが出てくるかわからないのが、toCビジネスの怖さだ。1日でも早くβ版をリリースすべく、ここからエンジニアを増やして一気に開発を進めたいが、2人の貯金を切り崩して報酬を支払っていくのにも限界がある。投資を受けることを考えはじめたのは、自然な流れだった。

 とはいえ、ただの学生だった僕らに、投資家とのコネクションなんてあるわけがない。でも、最近はとにかく便利な世の中だ。エンジェル投資家と起業家をマッチングするサービスがあるという。すぐに複数のマッチングサービスに登録した僕らは早速、CtoCサービスへの投資実績のあるエンジェル投資家に、手当たり次第にコンタクトを取っていった。

 何十人もの投資家たちにコンタクトしたが、そのほとんどが音沙汰なし。そんななかでも、僕たちに興味を示してくれた数少ないエンジェル投資家の1人が、Sさんだった。投資実績は少なかったが、「実際に会って話を聞きたい」と言うので、何はともあれ一度会ってみようと、恵比寿の焼き鳥屋へと向かった。

 Sさんは、ジーンズにパーカーというラフな出で立ちをしていた。僕たちは緊張もほぐれぬまま、とにかく煙たい焼き鳥屋で、夢中でサービスの構想をプレゼンした。すると、拍子抜けするくらいあっさりと、事は進んでいった。

「いいね! 君たち絶対うまくいくよ。ぜひ投資させてほしい。明日にでもまずは200万円振り込んでおくね」

 翌日、銀行口座を確認すると、たしかに200万円振り込まれていた。話がスムーズに進みすぎてなかなか実感を持てなかったが、銀行口座の残高はそれが現実であることを物語っている。

【スタートアップあるある】「反市場的勢力」なんて知らなかった…

 何はともあれ、大きな一歩だ。そう納得した僕らは、取り立ててSさんに疑いの目を向けることなく、その200万円を使って開発を進めていった。

 モメンタムはさらに拡大していく。知人の紹介で、よくビジネスメディアにも出ていて、有名な大物起業家Dと話す機会を得たのだ。噂では、エンジェル投資にも積極的とのことだ。アポイントの場として指定された、起業家や投資家が集う西麻布のバーに足を運んだ僕らは、また夢中でプレゼンをした。今度も好感触で、トントン拍子で投資してもらうことが決まった。

 起業を決めてからここまで、たったの2か月。僕らは完全に舞い上がっていた。あのDさんからの投資を受けられたことで、“起業家界隈”の一員になれた気持ちもして、誇らしかった。その後に来る地獄なんて、まったく想像もせずに……。

 投資してもらった資金をもとに、僕らはプロダクト開発を加速させていった。業務委託のエンジニアだけでなく、正社員も2名採用。起業から半年経った頃には、プロダクトのβ版が完成した。事前登録LPの反応もすこぶる良く、開発のみならずビジネスサイドの体制拡充も見据え、次の資金調達を検討しはじめた。

 次の調達は、シリーズAラウンドになる。エンジェル投資家だけでなく、ベンチャーキャピタルからの投資も視野に入れていた。界隈の一部で話題を呼んでいたこともあり、こちらから動かずとも、いくつかのベンチャーキャピタルから連絡が来た。

 雲行きが怪しくなりはじめたのは、この頃だ。

「反社」と「反市」

「エンジェル投資などは受けていますか?」
「はい。創業直後にSさんに200万円投資してもらい、その後にはご存じのDさんにも投資してもらったんですよ」
「え? Dさん……?」
「そうなんですよ! 僕らの事業アイデアをプレゼンしたら、すぐに興味を持ってくれて!」
「……。申し訳ありませんが、今回のお話はなかったことにさせてください。またご縁がありましたら」

反市が出資していると上場できない

 そんなやり取りが、数社続いた。なぜダメなのか聞いても、はぐらかされる。4社目のとき、食い下がってしつこく聞くと、ようやく理由を教えてくれた。

「Dさんはね、反市場的勢力、いわゆる『反市』なんです。過去に株式売買などで事件を起こしたり、空増資、株価操縦、インサイダーといった疑惑を起こしたりした人から資金を得ていると、どんなに業績が良くても、IPOはできません」

 たしかにDさんは、過去にインサイダー疑惑でマスコミを騒がせたことがあった。でも10年以上前の話だし、あくまでも疑惑は疑惑、明確に罪を犯したわけではない。それなのに駄目だとは……。

 さらに最悪なことに、なんと問題はそれだけではなかった。ベンチャーキャピタルの担当者は、衝撃的なコメントを口にした。

「さらに最初に投資を受けているSさん、暴力団とのつながりがあるみたいですね。いわゆる、反社会的勢力です。これではDさん云々以前に、IPOなんて絶対にできませんよ。最近はマッチングサービスなども増えて、エンジェル投資を受けやすくなりましたが、そのぶん反社チェックも緩くなっていますからね。弁護士に相談したりして、ちゃんと反社チェックしなきゃだめですよ」

 絶望だった。「マッチングサービスを経由しているから大丈夫だろう」と高をくくっていたのが、すべての間違いだった。「上場」の二文字が、一気に目の前から過ぎ去っていくのを感じた僕らは、完全に打ちひしがれてしまった──。

 でも、ここで引くわけにはいかない。

 せっかく事業が軌道に乗りはじめているんだ。僕らの事業を最大限拡大させ、世界を変えるためには、IPOは不可欠。勇気を振り絞って、株式返還の交渉に打って出ることにした。しかし、その試みも淡く崩れ去った。

「え? なんで返還しなきゃいけないの? 成功するのを見越して、まだ何者でもない君たちに投資したんだよ? 取得時の価格はもちろん、今の時価総額で買い取るのでも安すぎるね。少なくとも、投資時の30倍くらいの価格じゃなきゃペイしないなぁ」

 もちろん、投資フェーズで売上なんてほとんど立っていない僕たちに、そんなキャッシュがあるわけがない。でも、この株式を買い戻さないことには上場も事業成長もありえない。このビジネス、僕たちがやらなきゃ誰がやるんだ──。

 まず、正社員の2名には、頭を下げてやめてもらった。受託開発の案件をたくさん受注し、親戚にも頭を下げて、なんとかお金を工面しようとした。

 そうして寝る間も惜しんで四苦八苦し続けて、約1年。ようやく、SさんとDさんから、株式をすべて買い取った。

 すでに、創業から2年が経っていた。もしスムーズにシリーズAラウンドの投資を受けられていたら、今頃シリーズBラウンドに向けて動きはじめていてもおかしくはないくらいの時期。社員数だって、30名近くになっていただろう。

 でも、実際にこの2年で取り組んだことの大半は、事業推進やプロダクト開発ではなく、買い戻し資金の工面。社員はゼロ、2年前と同じく僕とNだけ。

 一体僕たちは、何のために起業したのだろうか……。投資を受ける前に、詳しい人に相談だけでもしていれば、こんな事態に陥らずに済んだはずなのに……。