人間は、自分だけで価値観を形成して自分を満足させられるほど高性能にはできていない。

 その証拠に、「他人の評価は関係ない」と言い張る当人が、芸術作品や論文を世間に発表するではないか!

仲間内の評価による自己承認感の危うさ
マインドコントロールに気をつけよ

 仲間内で評価されることが人の喜びなのは結構なことだが、現実にはしばしば厄介だ。効果が強過ぎるのだ。

 たとえば金融パーソンが良心を麻痺させて理解力の乏しい高齢の顧客に高い手数料の商品を売るのは、組織内での自分の人事評価や出世のためだ。財務省の官僚が不適切なタイミングであっても増税を決めたがるのも「仲間内の評価」のためだろう。何とくだらなくて、迷惑なことか。

 これらはポジティブな評価を求める行動だが、いわゆる「いじめ」では、対象者の仲間内での評価を徹底的にネガティブに貶めることによって、時には自死にまで追い込む効果さえある。

 自己承認感によって人をコントロールすることを最も大規模に成功させているのは宗教だろう。

 自爆死するテロリストは、宗教に「洗脳」されて、「来世の幸せ」を信じて、自死をも厭わずテロに及ぶと一般的に理解されるようだが、これは本当だろうか?

 思うに、宗教の「効用」は、来世の幸福への期待になどあるわけではない。現世で仲間から得られる自己承認感にある。「すべての」と言い切る自信はないが、多くの宗教は、信者が来世的な幸福をリアリティを伴って信じているからではなく、現世においてグループ内で自己承認感を得られる「現世利益」を得ることによって成り立っている。ある種の信者にとって、これを急に失うことは、自死をもってでも避けたい事態だ。

「来世」は、ただ「そうであるかもしれないことが否定はできない状況」として精神的な逃げ道として存在するならそれでいいのだ。