圧倒的に面白い」「共感と刺激の連続」「仕組み化がすごい」と話題の『スタートアップ芸人 ── お笑い芸人からニートになった僕が「仲間力」で年商146億円の会社をつくった話』著者・森武司氏は、2005年の創業以来、18年連続増収増益を達成し、年商146億円となった。ここまで会社を成長させてきた秘密は何か? 本書からより深い学びを得ようと、インタビュー企画を実施。今回インタビューするのは、FIDIA役員の橋本雄一氏。橋本氏はCRO(チーフ・リレーションシップ・オフィサー)というFIDIA独自の役職で、事業拡大に大きく貢献した。今回は本書に登場した橋本氏に「一瞬で社員の心をわしづかみにする話術」について聞いた。

たった一つの話で全員の心を一瞬でつかむベンチャー社長の話術Photo: Adobe Stock

1つの話で全員の心をつかむ方法

――橋本さんが、FIDIAの森社長と一緒に仕事していて一番印象に残っていることは何ですか?

橋本雄一(以下、橋本):森社長が京都の青年会議所の方々と会食をした際、一瞬でその場の全員の心をつかんだ話です。

そのときは格式の高い伝統的な染物会社の社長が参加するなど、偉い人が一同に集まる会でした。
僕たちが話せる機会もほとんどなかったのですが、森社長にバトンが渡ったとき、森社長は突然、「ビートたけしはなぜ天才と呼ばれるのか」という話を始めたんです。

ビートたけしはなぜ天才と呼ばれるのか

一体全体、森社長はどんな話をしたか?

ビートたけしは漫才で天下を取った直後に、司会者をやったのがすごい

ざっくりいうと次のような話です。

どんな人生にも必ずいいときと悪いときの波がある。
ずっと同じ場所にいると、やがて衰退していく。
でも、ビートたけしはすごかった。
漫才で絶頂を極めたときに、初めてテレビ番組の司会をやった。

昔のバラエティ番組の司会者はアナウンサーがやっていた。
当時は「お笑い芸人に司会は無理」と侮られていた。
そんな中、ビートたけしがバラエティの司会をやりだした。
するとアナウンサーより話も面白く、バラエティの世界が一変した。

その後のテレビ番組はすべて「たけし」の名前が番組タイトルにつくようになった。それで司会者としても頂点を極めたと。

――これは面白い話ですね。

橋本:そうですよね。司会者としてトップになったたけしさんが次に何をしたか。
そう、映画をつくりだした。そして次々ヒット作が出た。
そんなふうに、たけしさんは一つのところにとどまらず、トップになったときに違うところで経験が活かせるコンテンツを次々に見つけていく天才です。

お笑いも、世の中の流れを読んで、そこに違うエッセンスを加えることで面白いコンテンツをつくっていくもの。
司会者も、世の中のトレンドや、番組の中の流れを読みながら、絶妙なタイミングでトークのバトンを渡していく。こう考えると、お笑い芸人も司会者も非常によく似ていることがわかります。

映画も一つの物事を違う観点で捉え、それを膨らませながらストーリーにしていく。
お笑いも司会も映画も、やっていることはすごく似ている。
どれもすごくクリエイティブな仕事です。
そのクリエイティブで秀でていたので、3業界でトップを取ったのが天才たけしといわれる理由なのかもしれません。

京都の青年会議所を震わせた話

――「業界から違う業界に行くタイミングが秀逸だった」のですね。

橋本:はい。森社長は京都の青年会議所でこの話をしました。
京都とは伝統を重んじる文化があるところです。
森社長は、京都の青年会議所は新しいことを始めていきたいけれど、伝統を重んじる京都でチャレンジするのはかなり難しいことを念頭に置きながら、あえてたけしさんの話をしました。

そして最後に、
「みなさんがやっていることは素晴らしいと思います。
天才たけしさんがやったように、今のここにいる若い世代が、新たな京都をつくっていく。そんなにおいがする今日の回でした」
という話で締めくくった。

すると、青年会議所の全員から拍手が起こったんです。

「うわーっ、すごい話を聞いた!」
「ブラボー」
一つのトークだけで、一気に空気が変わった

その瞬間、会場にいる人たちの僕らに対しての視線も、「ただのベンチャーかと思っていたけど、この会社はすごいかもしれない」という見方に変わったんです。

森社長の教育方針

僕自身もFIDIAの中で人材派遣事業をやった後はコンサルティング事業、それからいろいろ他の事業をやり、今はCROもやっているのは森社長のこうした教育のおかげです。
今回紹介した、たけしさんの話が僕はめちゃくちゃ好きで、あたかも自分が話したかのように、いろいろなところで話しています。

森社長のすごいところは、こうした話をたくさん持っていて、場所に合わせて一番効果的なテーマを選び分けて話すところですね。
森社長の初めての本書の中でも、このようなエピソードがてんこ盛りで紹介されています。