大学病院から開業医に紹介状?
変わりゆくセカンドオピニオン

 ただ、やはり本の影響は大きいのか、『発達障害に生まれて』(中公文庫)を書いたあたりから、発達障害に関する問い合わせが増えている。先日も東京から患者家族がお見えになって1時間話をした。ぼくは児童精神科医ではないので、専門的な話はできないのだが、最低限の助言をするだけでも1時間はかかる。

 東京都にはいくらでも専門の開業小児科や病院がありそうなものだが、重い自閉症の子どもを抱え、どこへ行って何をすればいいのか全然分からないという医療難民のような人たちがいることに意外な気がする。情報が溢れすぎると、却って自分のほしい情報がその他雑多な情報に隠れて見えなくなってしまうのだろうか。かかりつけの先生はどうしているのだろうか。

 セカンドオピニオンという言葉が広く一般の人に知られるようになって20年くらいだろう。確かに当初はセカンドオピニオンのハードルは高く、「保険は利きません!1回3万円です」の世界だったろう。でも今は自然と垣根が低くなっている時代に入ってきているのかもしれない。そう言えば、2年くらい前に大学病院から紹介状が届き、先天性染色体異常の赤ちゃんに関して「先生の意見を聞かせてあげてください」とお願いがきた。

書影『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)
松永正訓 著

 これも考えてみれば、セカンドオピニオンの紹介であろう。それも大学病院から開業医へ……である。確かにぼくが地元病院でがんの診断を受け、セカンドオピニオンを求めて東京の国立がん研究センター中央病院に行けば何万円も取られるだろう。だけど、今の時代は、開業医が患者の身近に存在していて、杓子定規(しゃくしじょうぎ)の「保険医療の利かないセカンドオピニオン」などという高いハードルはないのかもしれない。

 セカンドオピニオンを巡る患者家族と開業医の関係はこれからも変化を遂げていくのではないか。ただ、まったくの初診で、お互いの顔も知らない関係で、いきなり意見を求めるのは少し考え直す余地があるように思う。別にぼくはお金がほしいと言っているわけではないので、最低限のコミュニケーションは取りましょうとお願いしたい。