翻って、今の日本のモノづくりはどうか。

 既に市場が存在することを前提に、「予定調和」的なモノづくりを行い、作り手にとっても買い手にとってもワクワク感のない商品ばかりを生み出していないだろうか。

 いくつか例を挙げよう。

 まず、ブルーレイディスクレコーダーがそうだ。地デジの普及とともにほぼ全ての家庭において薄型テレビが置かれるようになった。薄型テレビの特徴は、その名前の通り、かつてのテレビと比べて奥行きがほとんどないことであるが、市場で売られているブルーディスクレコーダーの多くは、従来のビデオデッキ時代の規格を引きずっている。平置きが前提で横幅も奥行きも長く、とても薄型テレビとともに置きやすいデザインとはなっていない。

 色も黒が大半であり、おしゃれにしたいリビングにマッチしにくいデザインとなっている。本当に自宅に置きたくなることを前提にモノづくりを行っているのか、メーカーの姿勢を疑問視したくなる商品の一つといえる。

 ミニバンもそれに近い。確かに家族全員が乗車することができて、荷物も大量に搭載できるため「便利」なクルマだ。だが、ミニバンを買ってワクワクする人たちが多いとは、筆者はとても思えない。

 想像してみてほしい。週末、そのまったくワクワクしないミニバンに乗って、お父さんが運転し、一家で出かけるとする。お父さんは単なる運転手になってしまう。お父さんは運転を楽しめるだろうか。

 そもそも、ミニバンは女性にはとても運転しにくい。確かに家族にとって機能的な商品ではあるのだろうが、決して感性に訴えるような商品とは言えない。

 最近の日本製品の傾向として、このように過去の延長線上でのモノづくりや、機能性の重視のモノづくりばかりが重視され、全般的につまらなくなっていると感じている。

 これらを筆者は、「心」の問題と言いたいのだ。

アップルのような商品が
生まれなかったわけ

 日本のモノづくりについて産業界と議論すると、アップルが話題になることが多い。なぜアップルが生み出したiPod、iPhone、MacBook、iPadのような商品が、日本メーカーから生み出せなかったのかという議論だ。

 その際、必ずと言っていいほど漏れてくるのが、以下のような言葉だ。

「iPhoneはドコモのimodeの模倣にすぎない」
 「iPodのような商品は日本の電機メーカーにも作れたはずだ」

 負け惜しみである。筆者はそういう議論の際に、あえて断定的に「日本ではアップルのような商品は絶対に生み出せなかった」と言っている。

 まず我々が認識すべきことは、前述のアップル商品はどれも以前に存在した商品カテゴリーに収まらないものであり、カテゴリーの制約を越えて「新しい商品カテゴリー」として提案されたものだということである。