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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

クラシックの演奏会が増えた2004年前半、
岩村力指揮NHK交響楽団と2曲共演

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第28回】 2013年6月14日
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1988年、89年とロックバンドMinako With Wild Catsを率いたあと、解散後はソロにもどり、さらに91年から始まった「ミス・サイゴン」の練習以降、主舞台はミュージカルに移る。2003年5月にクラシック・アルバム「AVE MARIA」を発売、ついにポップスからクラシックのソプラノ歌曲を歌うにいたる。

Wild Catsのメンバーと15年ぶりに再会

 「AVE MARIA」発売以降、クラシック歌曲を歌うコンサート出演が増え、ミュージカル出演とともに多忙な日々が始まる。

 ポップスやロックも、じつはこの時期にも歌っていた。たとえば、2004年8月15日に出演した大阪WTCコスモタワーで行なわれた「本田美奈子コンサート」のプログラムには以下の曲が含まれている(BMI資料による)。

・アメイジング・グレイス(アルバム「AVE MARIA」)
・ジュピター(同上)
・Time To Say Goodbye(同上)
・新世界(第2楽章、2004年5月19日発売のシングル)

 以上はクラシカル・クロスオーバーだが、以下のポップスも歌っている。

・1986年のマリリン(80年代ポップス)
・Sosotte(同上)
・満月の夜に迎えに来て(自作のポップス)
・CRAZY NIGHTS(ブライアン・メイの作品)
・ワンウェイ・ジェネレイション(80年代ポップス)
・匂艶The Night Club(ミュージカル「クラウディア」2004)

 80年代歌謡曲、ロック、自作ポップス、ミュージカル・ナンバーからクラシックまで、なんと全部いっぺんに演奏しているのだから驚く。こんなシンガーは世界のどこにもいないだろう。

 フレディ・マーキュリーとの共演を機に、ロック・ミュージシャンと盛んにレコーディングしていた90年代前半のモンセラ・カバリエ(ソプラノ)も、同じコンサートでクラシックまでいっしょに歌ったことはなかった。サラ・ブライトマンはポップスもクラシックも歌っていたが、90年代後半以降は声楽の発声で統一している。

 本田美奈子さんが唯一無二の存在だったのは、すべてのジャンルでそれぞれ別個の歌唱法(発声法)を使うことだ。ジャンルを超える難しさだが、これをこなせる音楽家は少ない。トランペット奏者のアレン・ヴィズッティやウィントン・マルサリスはクラシックとジャズでアタックもアーティキュレーションも変えるが、こんなことのできる音楽家はめったにいない。

 2004年8月15日、大阪WTCでは昼夜2回のコンサートがあった。1回目のステージ終了後、楽屋に引き上げた本田美奈子さんをある人物が訪ねてきた。本田さんはこのときのことをファンクラブの会報にこう書いている。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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