また揚げ足取りが始まったと感じるだろうが……

 話を戻す。いずれにせよ憲法について考えることは(今だからこそ)重要だ。だから今回も笠井の提案した水路を流れるけれど、その前にキラキラネームについて補足する。昨年11月に東京都内で開かれた講演会で安倍自民党総裁(当時)は、「子どもに「光宙」と書いて「ピカチュウ」と読む名前を付ける親がいる。これ「キラキラネーム」っていうんですよ。つけられた子の多くはいじめられています。「愛猫」と書いて「キティ」、「礼」と書いて「ペコ」と呼んだりする親もいる。ペットじゃないんですから。そういう親も指導しなければいけない時代に、もう来ているのかなと思う」(朝日新聞2012年11月16日)と発言した。

 確かにきらきらネームが増えているとの話はよく聞く。でもピカチュウとかキティとか、本当にそんな名前の子どもがいるのだろうか。安倍首相は同じような趣旨をメルマガでも配信している。でもこの情報のソースは示されていない。ネットで調べたら2010年6月21日の産経新聞に掲載されていた文章が見つかった。書いたのは(新しい歴史教科書を作る会の元副会長である)高橋史朗親学推進協会理事長だ。その一部を引用する。

 これは、わが国が人間関係の絆が最も希薄化している結果といえます。わが子に輝宙(ぴかちゅう)、愛猫(きてぃ)と名付けた親がいますが、女の子の夢の変遷調査で「いいお母さんになりたい」が消えたのも当然の結果といえるでしょう。

 ……「当然の結果」との断定は少し早計すぎやしないかと思うけれど、いずれにせよ(断定はできないけれど)安倍総理のソースはこれじゃないかな。「ピカチュウ」と「キティ」が符合する。でも「ペコ」はない。他にもソースはあるのだろうか。それにこれがソースの一つだとしても、今度は高橋理事長の情報ソースがわからない。まあでもきりがない。何らかのソースがあったのだろう。この名前を付けられた子どもは実在するのだろう。その前提で思うけれど、確かに僕もこれらの名前はどうかと思う。もしも友人から「生まれた子どもにピカチュウという名前を付けることにした」と言われたら、「ちょっと待てよ」とか「先のことを考えたのか」と言いたくなると思う。

 もちろんそれは、編集者であると同時に2人の子どもの父親でもある笠井も同様のはずだ。安倍首相の発言で笠井が(そして僕も)気になるのは、「そういう親も指導しなければいけない時代に」とのフレーズだ。子どもをピカチュウと呼ぼうとする友人に「何考えているんだ」とは言うかもしれないけれど、彼を(年少であろうが後輩であろうが)指導しなくていけないとは僕は考えない。そもそもこの場合に友人に対して使う言葉として、「指導」は僕の語彙にはない。もちろん為政者と国民の関係は、友人関係と同じではない。国が誤った方向に進もうとするとき、その方向ではないと声をあげることは、為政者にとっては大事な使命だ。でもそのときに使うべき言葉は、少なくとも「指導」ではない。