ニューヨークへ取材に訪れた際に、非常に大きな衝撃を受けたのは、輝かしいスタートアップではなく、1つの公立高校だった。「Academy For Software Engineering(AFSE)」は、アーヴィン・ストリートにある高校の校舎の1フロアを、プログラミングが学べる普通科高校に変化させてしまった。この高校のミッションは、3年間、すなわち卒業生1号が出た時に、ニューヨークのエンジニア不足を解消することだった。

Academy For Software Engineering(AFSE)の校長Seung Yu氏。「コード」への興味が学びの最大の原動力だと語る Photo by Taro Matsumura

シリコンバレーを目指さない

 テクノロジービジネスは現在最も活発に変化し、発展している領域の1つだ。そのメッカとしてはシリコンバレーが有名だ。大学の基礎研究や人材をもとにしてビジネスを起こし、投資を呼び込み、キャピタルゲインを取る。こうしたサイクルが活発におき、キャピタルゲインを得た起業家は次のスタートアップに投資をする。シリコンバレーという地域にはノウハウや人材、資金が蓄積し、「トレンド」を作り出す。

 ただし、シリコンバレーと全く同じことを目指そうとする米国の都市は皆無だ。なぜなら、シリコンバレー成立の歴史を知っているからだ。その原動力とは何か。それは、東海岸の政治・経済の中枢から最も遠いという地理的条件と、スタンフォード大学の存在、そして第一次大戦でより明確になった軍需技術開発に対する国からの莫大な資金だ。

 このように指摘するのは、スタンフォード大学アジア太平洋研究所の櫛田健児博士。歴史的に見て、ドイツ、ロシア、アジア方面から優秀な研究者を集めながら資金を投資し、大学の技術と人材を使って企業を生み出すモデルを作り上げてきたシリコンバレーは、なにもITビジネスに限らない、産学(官)の連携モデルと見ることができる。

 時折、「日本版シリコンバレーを作ろう」という声が多く聞かれ、リサーチパークなどは未来的な立派な建物が並ぶ。しかし実際のシリコンバレーは3階建て以上の建物を見つけるのに苦労する、牧歌的な街が続く。その一方で、過去からこれまでに、おそらく現在のお金で日本の国の借金を超えるような金額が1つの地域に投資され、これがキャピタルゲインによって増幅・分配されてきた。