自ら「社畜」になろうとしていないか

 私は数年前に、リクルートワークス研究所と共同で「自己信頼」の研究を行った。研究所主催のシンポジウムで話し合い、企業インタビューを重ね、自己信頼の構造を分析していった。

 研究の結果、自己信頼を形成するには、3つの要素が必要であるとわかった。

 1つ目は自己の能力に対する自信。これを得るには修羅場体験が必要だ。ある修羅場をなんとか潜り抜けたという経験が、自己の能力に対する自信となって、次の修羅場でもきっと何とかなるだろうと思えるようになる。

 2つ目が人脈である。その修羅場体験でもいいのだが、自分が心底辛かったときに、誰かが救いの手を差し伸べてくれた。その経験から、多分、次にそういうことになっても、きっと誰かに手を差し伸べてもらえるだろうという人脈に対する自信が備わる。

 最後が希望。「私はこうなりたい」「絶対こうなる」という強い意志が、人間を強くする。

 そこで現状のビジネスパーソンを眺めてみると、残念ながら多くはこれらの要素が欠けているように思える。

前回も述べたように、昔は、次々と新しい課題が提供されて、それを解いて目標に到達することを求められた。そうした状況こそが、必然的に、多くのビジネスパーソンに修羅場体験を強いたのだ。ビジネスパーソン個人にしてみれば、修羅場体験の連続をなんとかこなしていかなければならなかったわけで、必然的に、どんな状況でも「何とかなる」という自信がついたものだ。ところが昨今は、そうした修羅場はそう多くない。だから、それこそ今帰属している組織が守ってくれない場所で修羅場を経験するだけの自信がないのも当然かもしれない。

 人脈力がさらに困りものだ。いわば日本人ビジネスパーソンの特徴といってもいいことなのだが、結局は会社関係の人脈しかないという人が多い。その代わり、会社の中の人脈は驚くほどに稠密だ。それ以外は、それこそ高校や大学時代の友人、数人の竹馬の友だけということも少なくない。地域にも知り合いはほとんどいない。会社内の人脈しかないとすれば、やっぱり、外に出られる自信は持ちえない。

 そこまで、自分を会社という器に過剰適応させていてはいけないと、素直に思う。

 社畜といった蔑称や、「会社はサラリーマンを飼い殺す」という言い方は、事実ではあるのだろうが、マスコミの好む一方的な表現だろう。私には、本人たちの心のどこかに、飼い殺されていたほうが楽だという、自分の人生に対する怠惰があるように思えてならない。私もかつてそうだったから、よくわかる。ただ、ここまでにも説明してきたように、その怠惰の先には断崖絶壁が待ち構えているのだから、もうここらで怠惰な状態からは卒業したほうがいい。