習近平は何故胡耀邦の歴史的地位を
復活させようとしているのか
前回コラム(習近平が実親・習仲勲の生誕百周年を大々的に祝った真の狙い)では、習近平総書記が実父・習仲勲の生誕百周年記念(10月15日)を大々的に祝った実例を挙げつつ、なかでも毛沢東、トウ小平(Deng Xiaoping、トウの文字は「登」におおざと)、劉少奇、胡耀邦という政治キャリアや歴史的地位、そして国内の政治的評価が極めて異なる4人の最高指導者たちの直接の親族が揃って出席した“習仲勲生誕100周年記念座談会”をケースとして紹介した。
これは4人の親族が会場に設定された北京の人民大会堂でたまたま出くわしたなどという偶然的事態ではなく、習近平総書記が細心の注意を払いながら綿密に企画した場面であったとレビューした。
習仲勲氏は改革派の政治家として、特に文化大革命時代数々の政治的迫害を受けながらも、広東省や北京で中国の改革を進めてきた。習仲勲氏の手腕や実力を理解し、彼を政治的に復活させ、重用したのが“中国民主化の星”とまで言われた胡耀邦元総書記であった。
胡耀邦氏の右腕として、特に1980年代の改革開放の政策決定プロセスに深く関わった習仲勲氏の功績を、実の息子である現在の国家指導者・習近平が大々的に祝うのは、ただ漠然と権威主義と党の威信を国内外にデモンストレーションするためなどという理由によるものではない。権威主義を振りかざし、自らの権力基盤が強固であることを誇示することは、あくまでも戦略的手段に過ぎない。
むしろ、毛・トウ・劉・胡という中国政治を歴史から未来へ形作っていくために最重要と言っても過言ではない“四家”の間で習仲勲氏の評価に対するコンセンサスを構築・強化することを通じて、“胡耀邦の歴史的地位を復活させる”ための布石を打つことが真の目的である、と前回コラムの結論部分で私なりの、現段階における検証結果を述べさせていただいた。
と同時に、「それでは、何のために胡耀邦元総書記の歴史的地位を復活させる必要があるのか? 習近平現総書記は、その先に何を見据えているのか?」という問題提起をした。この問題を考え、検証していくことが本稿の目的である。