“厳しい土地”からスタート
NGOオイスカの歩み
農業はミャンマーの基幹産業である。国際的にも非常に有望な農業国であることは前回も述べた。有望であるがゆえに、多くの外国企業はビジネスチャンスと捉え、投資分野として狙いを定めている。
日本はミャンマーの農業のどのような分野に貢献できるのだろうか。また、それは日本企業にとって有望なビジネスとなりえるのだろうか。
その答えを探るために、長年現地で農業支援をしているNGO、公益財団法人オイスカの藤井啓介氏に話を伺った。そこから見えてきたのは、最新鋭の農業技術や機械に頼らない日本古来の農業ノウハウや、日本人が得意とするコツコツと地道な人材育成が、いまのミャンマーに求められているのではないかということだ。
まずはオイスカの活動の歴史を紐解こう。
1961年に設立されたオイスカは、アジア・太平洋地域を中心に、世界32の国と地域で(2013年3月末現在)、長年農村開発や環境保全活動を展開している。ミャンマーでの農業支援活動のきっかけは、オイスカのアジアでの活動を見た国連からの打診だった。
オイスカは、1996年1月27日、国家計画・経済開発省(Ministry of National Planning and Economic Development)と、農業研修センター設立を含むミャンマー国内での支援活動に関する協約を締結した。研修センター自体は、農業灌漑省(Ministry of Agriculture & Irrigation)が管轄主体となってスタートした。
オイスカの特徴は、活動の柱に“人材育成”を据えていることだ。ミャンマーにおいても、国の基幹産業である農業や畜産の発展のためには、農村地域のリーダー育成が重要との認識に立ち、実際に役立つ農業技術の伝授に力点を置いてきた。そのための活動拠点が、中央乾燥地帯のマグウェイ地域イェサジョ郡にある、農林研修センターだ。
1990年代当時、国連はミャンマーのなかでも開発が遅れており、かつ当時外国人が比較的入りやすい中央乾燥地帯も、重点開発地域の一つとして位置付けていた。
しかし、彼らが拠点を置いた中央乾燥地帯は藤井氏曰く「厳しい土地」だったという。