百四十数人の中の7人

 今から数えると四十数年前の文化大革命時代の話になる。中学を出た私は黒竜江省の農村に飛ばされた。農村の厳しい現実に、10代後半の私たちがもっていた革命的情熱の火はたちまち消された。いつまで農村にいなければならないのかわからない。まるで終身刑を言い渡されたようなものだった。そんななかで意気消沈するのはむしろ自然な成り行きだと言えよう。

 しかし、140数人の若者もいるなかで、7人だけが辛い野良仕事を終えたあとでも、それぞれ自分なりの独学を続けていた。私もその中の一人だった。当時はそんなにはっきりした目的をもっていなかった。ただなんとなく若いうちにもう少し知識を身につけていれば、というぼんやりとした動機によって、大して深くも考えずに独学を続けていただけだった。

 ところで、数十年後、50代になった当時の仲間たちと会って、みんなの近況を確かめてみたら、私は驚いた。なんと、昔の百四十数人の仲間の中で、のちに大学や専門学校に進学できたのはあの7人であった。

 偶然の結果と見るべきなのか、それとも努力はやはり報われるものだと断言すべきなのか。正直に言うと、いまだにその問いにどう答えればいいのか、私には分からない。強(し)いられた運命に無意識のうちに必死に抵抗したのは確かだった。その甲斐あって大学に進学でき、人生の進路を大きく変えることができたとは言えるだろう。

運命に負けたくない……

 十数年前に、北京で取材していた私は、あるパソコン教室で感動的な場面に出会った。

 北京市内のパソコンショップに設けられた無料パソコン教室で、いちばん前に座っていた女性が悪戦苦闘していた。メールの設定がなかなかうまくいかないようだ。近づいてみると、小文字にすべきところを大文字で打ち込んでいた。

 血走る目をこすりながら、彼女は「やっぱり年齢には勝てないわ」と苦笑いした。興味がわき、声をかけてみた。