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野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断

軍事技術・戦術におけるイノベーション【1】
電撃戦

野中郁次郎 [一橋大学名誉教授]
【第8回】 2014年7月18日
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今回からは趣向を変えて、第2次世界大戦欧州戦域で行われた軍事作戦・戦術上のイノベーションについて、マネジメントの視点から見てみたい。まず取り上げるのが、ドイツ軍によって行われた「電撃戦」である。

緒戦を制した「電撃戦」

 第2次世界大戦は1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻したときから始まった。正式にはその2日後、9月3日に、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスが、同盟国フランスとともに、ドイツに対して宣戦布告したことによる。この1週間前、1939年8月23日には独ソ不可侵条約が結ばれ、同時に秘密議定書で独ソによるポーランド分割が合意された。その2日後、8月25日には先述したイギリスとポーランドの相互援助条約が結ばれた。各国の関係が変化するなんとも慌ただしい流れの中で、大戦が始まったのだ。この日から、ベルリンが陥落してドイツが無条件降伏する1945年5月7日(降伏文書調印は翌日)まで、人類史上未曽有の戦いが繰り広げられたのである。

 第1次世界大戦での敗北により、ドイツは過酷な賠償を課されたうえ、軍備は厳しく制限された。1919年6月28日に締結されたヴェルサイユ条約によって、ドイツの軍備は大幅に制限された。陸軍兵力は10万人以下に、海軍兵力は1万5000人規模とされた。保有数兵器・艦艇なども制約された。

 政権を奪取したヒトラーが1935年3月に再軍備宣言をするまで、表向きにはこうした制約下にドイツ国防軍は置かれていた。だが実際には、1922年のソ連とのラパッロ条約の秘密条項に基づいて、ソ連領内などに置かれていた秘密基地で、新兵器の開発や、戦車や飛行機を使っての画期的な戦法を地道に修得していったとされる。このような水面下の動きによって、再軍備は急速に進んだのだ。電撃戦の元となるコンセプトは、こうした軍備の制約の下で考え出されたものらしい。

 9月1日のポーランド侵攻で、「電撃戦(殲滅戦の一形態という指摘もある)」は圧倒的な威力を発揮した。17日にソ連も侵入してきたことで、ポーランド政府は1カ月も経たずに亡命を余儀なくされてしまった。

次のページ>> 「電撃戦」の生みの親
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野中郁次郎 [一橋大学名誉教授]

1935年東京生まれ。早稲田大学特命教授。58年早稲田大学政治経済学部卒業後、富士電機勤務を経て、カルフォルニア大学バークレー校経営大学院博士課程修了(Ph.D)。南山大学、防衛大学校、一橋大学、北陸先端科学技術大学院大学、一橋大学大学院国際企業戦略研究科で教鞭を執る。紫綬褒章、瑞宝中綬章受章。知識創造理論の提唱者であり、ナレッジ・マネジメントの世界的権威として、米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」でアジアから唯一選出された。さらに2013年11月には最も影響力のある経営思想家50人を選ぶThinkers50のLifetime Achievement Award(生涯業績賞、功労賞)を受賞。近年は企業経営にとどまらず、地域コミュニティから国家までさまざまな組織レベルでのリーダーシップや経営のあり方にも研究の場を広げている。主な著作に、『失敗の本質』(ダイヤモンド社)、『アメリカ海兵隊』(中央公論新社)、『知識創造企業』(東洋経済新報社)など。

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野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断

『失敗の本質』から30年。経営学の世界的権威・野中郁次郎が、リーダーシップ研究の集大成の対象に選んだのは、「凡人たる非凡人」にして第2次大戦の活路を拓いた連合軍最高指揮官アイゼンハワー。「史上最大の作戦」で発揮された意思決定(Judgement)の本質を説く。

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