『同い年事典』(黒川祥子著、新潮新書)という本がある。私が生まれた1945年の項には、順に落合恵子、おすぎ&ピーコ、吉永小百合、アウン・サン・スー・チーらが並んでいる。櫻井よしこもそうである。
あるシンポジウムで同席して「櫻井さんと私は同い年です」と言ったら、「よけいなことは言わなくていいの」と叱られた。
最近、『民主主義の敵は安倍晋三』(七つ森書館)という対論集を出した私と、安倍の熱烈な支持者である櫻井との間に“交流”があると言ったら驚く人が多いかもしれない。
互いに顔も見たくない二人が
シンポジウムで一緒になって
前述のシンポジウムまでは、共通の友人の吉永みち子を介して、「彼女の顔がテレビに映ると、即座にチャンネルを替えるか、瞬間的にスイッチを切る」と書いた私に、櫻井が「私だってそうよ」と反応するといった具合に火花を散らしていた。
日本弁護士連合会主催のそのシンポジウムが行われたのは、1996年の3月である。それが開催される3日ほど前、吉永から電話がかかってきた。
「みっちゃん、私、イヤ、代わって」と櫻井が悲鳴をあげているというのである。
私も、よく櫻井が引き受けたな、と思っていたのだが、誰が一緒なのか確かめずに引き受けたらしい。わかったとたんに「イヤ」となったわけである。しかし、もちろん、いまさら変更はできない。
吉永のアドバイスもあって、私は当日、少し早く行き、控室で隣の椅子を空けて彼女の到着を待った。そして彼女が現れるや「櫻井さん、こっち、こっち」と立ち上って声をかけたのである。
すると彼女も、吉永に「代わって」と言ったことなどおくびにも出さず、「あぁら、サタカさん、今日は会えるのを楽しみに来ましたのよ」と返した。さすがのキツネとタヌキである。
以降、時折り連絡し合って対談などをしてきた。当時、私たちは50歳そこそこだったが、興味深かったのは、そのシンポジウムの翌日の報道だった。『産経新聞』が「櫻井よしこ氏ら」で『朝日新聞』が「佐高信氏ら」、そして『読売新聞』が「佐高信氏、櫻井よしこ氏」だったのである。