蔓延する依存症の裏に潜む
「テクノロジーと社会の共犯関係」

 さらに、より重大なのは、私たちの多くが今、このスペクトルの危険なほうの端に引きよせられているという事実である。それを駆りたてているのが、私たち人間のもっとも根本的な本能――欲望――を刺激するテクノロジーと社会の変化だ。

 現代ほど、自分の気分を変えてくれそうに見える魅力的な物や経験がこんなにも多量に手に入る時代はない。

 たとえば、今、私たちの「フィックス」は、フェイスブックツイッターといった、友人の輪を操作できるソーシャルネットワークによってもたらされることがよくある。まるでiPhoneのアプリでもあるかのように、人々を「インストール」したり「削除」したりするのは、気分を変えることができるこずるい手段だ(もちろん、自分が削除されたときに思いきり腹が立つのは言うまでもないが)。これはモノを消費するのと同じ経験である。

 依存症について語る際には、たとえそれが取るに足らないことであっても、あるいは命に関わるたぐいの問題であっても、「欲望」というコンセプトが、「快楽」のコンセプトと同じぐらい重要になる。というより、たいていの場合、欲望は快楽より重要だ。なぜかと言うと、フィックスを手にすることへの期待感は、フィックスを消費した瞬間に得られる満足感に勝るからだ。消費したあとは、期待したほどではなかったという感覚がよく生まれ、そう感じると、心の中で子どもじみた怒りが爆発することがある。フィックスは私たちを幼児化する。ゆえに私たちは子どもたちと同じように、常に――そしてやっかいなことに――もっともっと欲しいと求めつづけるのである。

(続く)

※本連載は、『依存症ビジネス』の一部を抜粋し、編集して構成しています。