光の3原色である赤、緑、青が揃えば、すべての色の光を作り出せる。ところが、青色に光る発光ダイオード(LED)の実現は、長く困難を極めた。1960年代から世界中の研究者が開発に取り組むも、なかなかブレークスルーが起こらず、70年代に入ると「20世紀中には不可能」とまで言われた。

ノーベル物理学賞を受賞した<br />青色LED開発者の“因縁”ノーベル賞受賞が決まった赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名城大学教授、中村修二・カリフォルニア大学教授(左から)
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 10月7日、その偉業を達成した3人に、2014年のノーベル物理学賞が授与されることが決まった。赤崎勇・名城大学終身教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の3氏である。

 ただし、3人が共同で研究を行ったわけではない。基礎研究で先行していたのは、80年代に名古屋大学に在籍していた赤崎氏と天野氏だった。中村氏は、彼らから15年遅れで研究を開始した。

 そして、それが原因で赤崎氏と中村氏は、“犬猿の仲”と言われていた。その経緯を振り返ろう。

 当時、青色発光材料としては、窒化ガリウム、セレン化亜鉛が知られており、世界の研究者はどちらを研究対象に選ぶかという二者択一を迫られていた。

 米国を中心に世界の研究者の大半が選んだのがセレン化亜鉛。窒化ガリウムに比べ、良質な結晶ができやすく、有望に見えた。日本人研究者も、長いものに巻かれるようにセレン化亜鉛に走った

 そんな中で、窒化ガリウムに固執したのが赤崎氏だった。続々と発表されるセレン化亜鉛に関する論文には目もくれず、窒化ガリウムの結晶薄膜を形成する研究に取り組んだのである。

 そして、孤独な試行錯誤の末、86年に編み出したのが、サファイアの基板の上で窒化ガリウムの薄膜の結晶を成長させるという技術だった。