日独伊の「持たざる国」が戦争へと向かった理由

 世界恐慌後、お尻に火がついた「持たざる国」は三つあった。まずは日本。第一次世界大戦では対岸の火事で大儲けした日本だったが、その後は経済が冷え込み、世界恐慌ではここまでの儲けをすべて吐き出してしまった。

 局面打開のためには、植民地拡大しかない! 軍部の台頭めざましかった日本では、1931年に関東軍(満州駐留の日本軍)が独断で起こした柳条湖事件(満鉄爆破事件)を中国側のせいにして満州事変を起こし、清朝最後の皇帝・溥儀を執政とする傀儡政権「満州国」を建国した。

 しかしそれが、国際連盟派遣の「リットン調査団」によって侵略行為と認定され、日本は1933年、国際連盟脱退を通告された。金に困ってやんちゃして親から勘当されたら、向かう先はもう決まっているね。

 日本は1936年にドイツと手を組んで日独防共協定を締結、翌1937年には盧溝橋事件(中国側からの発砲)をきっかけに日中戦争が始まった。そして、その中国から手を引けと言ってきたアメリカから経済制裁を受けた後、ついに1941年、日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃を仕掛ける。こうして太平洋戦争は始まった。

 二つ目の国はドイツだ。第一次世界大戦に負け、鬼のような賠償金を請求されたドイツは、アメリカの手助け(経済復興資金を借りたり賠償額を軽減してもらったり)で、本当に辛うじて人の心を保っていた。

 ところが世界恐慌を境に、アメリカからギリギリ垂らされていたクモの糸もブチッと切れ、ついにドイツは祟り神に……ではなく、ナチス党が第一党になり、1933年にはヒトラー内閣が誕生した。

 ヒトラー内閣がめざすものは「ヴェルサイユ体制からの解放」、つまりヴェルサイユ条約で課された巨額の賠償金をチャラにし、ハンニバル・レクター教授なみにがんじがらめにされた再軍備への足かせを外すことだった。

 ナチス党は、その実現のためには「全体主義」が必要であると訴えた。全体主義とは、最終的にみんなが幸福になるために、国民すべてが国家に奉仕し、国家の繁栄をめざすという、言うなれば“極右の社会主義思想”みたいな考え方だ。

 世の中が平和に安定しているときなら、そんな個人の自由のない思想は見向きもされなかっただろう。でも今のドイツには、敗戦国特有の卑屈な気分と閉塞感が充満している。ここから抜け出すためなら、人々は何でもしたい。そこに、ゲルマン民族の優越を訴え、景気回復への具体的な道筋を示し、演説と宣伝の巧みなカリスマが現れたら、人々は心をつかまれる。それがヒトラーであり、ナチス党だった。

 ナチスは1933年、国際連盟を脱退し、公約通りヴェルサイユ条約を破って再軍備と徴兵制を復活した。そして国民に福祉や娯楽を提供しつつ、軍需産業と公共事業を続けることで、経済力と軍事力を回復させ、大衆の心をつかんでいった。

 ほら、やっぱり“重すぎる年貢”は一揆の元だって。みんなレクターに共鳴しちゃったじゃん。ドイツを追い込みすぎたツケは大きいぞ。

 ついにドイツは1938年、オーストリアを併合し、チェコの一部も併合して、ポーランドにもちょっかいを出した。イギリスとフランスはそれを止めようとし、1939年、第二次世界大戦は始まった。

 最後はイタリア。第一次世界大戦後、不況とインフレに苦しむイタリアでは、ロシア革命も刺激となって社会主義運動が激化し、ストライキが頻発した。彼らは反革命的なファシスト党(資本家層が支持)と対立するが、ストでは生活改善できないことに失望し、やがてすべてがファシスト党へとのみ込まれていく。

 その圧倒的支持(+反対者への直接的な暴力)を背景に、1922年に党首ムッソリーニは「ローマ進軍」(クーデター)を行い、国王の支持を取り付け首相となる。以後20年間、イタリアはファシスト党の一党独裁体制となる。ファシスト党は反社会主義の全体主義的政党で、ナチスよりも暴力的な要素が強い。

 世界恐慌後、ムッソリーニは大規模公共事業で失業者救済を図るが、資源に乏しい現状を打破するため、1935年エチオピアに進軍。国際連盟はこれに抗議して、イタリアに経済制裁するも、抑えきれず、翌年エチオピアは併合される。

 翌1937年、イタリアは国際連盟を脱退したが、国連が弱体化したのを世界に見せつけた後に脱退とはやるね、イタリア。もともとヒトラーは、ムッソリーニの「ローマ進軍」を真似て「ミュンヘン一揆」(1923年、政権奪取をめざすも失敗。投獄中に『わが闘争』を執筆)を起こしたほどムッソリーニのファンだから、この後必然的に両者は接近していき、この流れで日独伊の枢軸同盟が結ばれていく。

結局、第二次世界大戦の経済的要因とは何か?

 結局わかったことは、通貨価値の混乱からくる世界貿易の縮小こそが、第二次世界大戦の経済的な主要因だったということだ。もちろん政治的にもいろいろな要因があったこともわかったと思うけど、経済的要因の方はここまでシンプルな太い軸にまとめることができるんだ。

 ならば今後、戦争を経済の側面からなくしたいと思うなら、どうするか? そう、通貨価値の混乱を避けるため、通貨の価値をガッチリ固定させることだね。だから戦後の通貨体制は、「固定相場制」から始まるんだ。

【訂正】5ページ目「1990年にはアメリカが金本位制に移行し」→「1880年代にはアメリカが金本位制に移行し」に訂正しました。読者の皆様にお詫びいたします。(2023年3月8日 書籍オンライン編集部)

(※この原稿は書籍『やりなおす経済史』から一部を抜粋・修正して掲載しています)