週刊新潮の記事(「特別読物」300年前の悪夢「富士山」宝永の大噴火)を読んで、約15年前の出来事を思い出してしまった。

 〈「この1万年の中で富士山は100回以上の噴火が起こっているが、空高く噴き上がるほどの大噴火は3、4例しかない。その1つが宝永の噴火で、非常に大規模なものです」と語るのは東大名誉教授で富士山ハザードマップ検討委員会委員長の荒牧重雄氏――(略)〉(週刊新潮/12月13日号)

 宝永の大噴火は1707年12月、今からちょうど300年前の大災害である。

 当時の噴火によって富士山周辺には巨大な火の玉が降り注ぎ、東麓の須走村などは4メートルもの灰に埋まって壊滅したという。大量の溶岩は猿橋まで流れ、噴き上げた火山灰は江戸に到達し、数センチ積もった。

 仮に、現在だったとしたら、どうなるのだろうか。農業、観光業のみならず、ライフラインや交通網が分断され、情報産業や電子化された日常生活への打撃も計り知れない。

 美しい富士は、その雄姿とは裏腹に、その内奥には強烈な悪夢の可能性を秘めている。

富士山噴火の可能性を問うと
「風説の流布」呼ばわりに

 今年6月、富士山は世界遺産の暫定リスト入りを果たした。山麓に点在する富士五湖を含めた一帯の登録も検討されている。富士北麓の樹海はすべて溶岩の跡で、本栖湖、精進湖、西湖、河口湖なども、噴火によって流れ出た溶岩が作り出した火山湖である。

 その最東端に位置する山中湖は、風光明媚で、観光客の途絶える冬の美しさは息を呑むほどだ。1980年代末からの約5年間、その自然美に魅せられた筆者は、山中湖村民として湖畔に居を構えていた。

 80年代前半まで、富士山は〈死火山〉と呼ばれていた。ところが、筆者が山中湖に住み始めた頃には、こっそりと〈休火山〉に変わっていた。理由は、日本列島にはそもそも〈死火山〉はない、という学術的な見解の変更に伴うものであった。