2014年12月26日、御用納めの日の夕方から夜にかけ、社保審・生活保護基準部会が開催された。その直後、「住宅扶助と冬季加算は引き下げ」とする大手メディア報道が重なった。
本当に、引き下げは既定路線なのだろうか? 実際に基準部会では、どのような議論がなされたのだろうか? 部会委員たちは、本当に引き下げをよしとしているのだろうか?
第二次安倍内閣続投
絶望するのはまだ早い
Photo by Yoshiko Miwa
2014年12月16日、衆議院総選挙が行われ、自民党・公明党が解散前と同等の議席を獲得した。このことにより、第二次安倍内閣の続投が事実上決定した。得票数で見れば、「これまでと何も変わらない」と言っても過言ではないかもしれない。
しかし今回の総選挙の結果に、筆者は小さな希望を見出している。「普通の人の普通の暮らし」を大切にしている候補者、福祉を重要視している候補者が、優勢とはいえない政党からの立候補であっても、不利な条件があっての立候補であっても、議席を維持したり、議員としての復活を果たしたりしているからだ。
筆者が「この人の議席は維持されてほしい」「この人は当選してほしい」と思っていた候補者は、全員が当選した。また、「外国人への生活保護は廃止する」をスローガンとし、事実と反する内容を少なからず含んだ主張で選挙活動を展開していた「次世代の党」は、議席を大幅に減らす結果となった。日本政府がどのようであれ、日本人の賢明さや人間としてのまっとうさには、まだしばらく、期待してよいのかもしれない。
ちなみに2012年末の総選挙で議席を失った初鹿明博氏(本連載第11回参照)も、今回、日本維新の会から立候補して当選し、議員としての復活を果たした。議員でなかった期間、障害児デイケアなどの福祉事業に従事し、フェイスブックでは家族のための美味しそうな手料理写真を公開し続けていた初鹿氏に対し、筆者は正直なところ「なぜ維新?」と思ったのだが、初鹿氏によれば、意図するところは下記のとおりだ。
「維新の党を選択したのは(略)消費増税や脱原発に対するスタンスでは一致していることです。
そして、新しい党なので、個々の政策についはまだ固まっていないところも多く、私が得意としている福祉や社会保障、雇用、貧困問題、子育て支援などの分野では私の考えで政策を引っ張り、リベラル色を出していくことが可能だと感じているからです。
政党がどこであろうと、自由と人権を守って公正で、格差の少ない社会を創っていくという私の理念に変わることはありません」(http://www.hatsushika.net/page01.html より)
政局の激流の中にあっても初鹿氏の思いが実現することを、筆者も心から願う。一人一人の人が生まれ育ち、成人して職業生活をはじめとする社会へと接続され、人の中で人として生きる生涯を送ることなくして、国の維持も発展も振興もありえない。そこに「右」も「左」も関係ないであろう。
今回は、年末最終日の2014年12月26日に開催された社保審・第21回生活保護基準部会(以下、基準部会)で示された報告書案と議論についてレポートする。
「住宅扶助引き下げが妥当」を導ける
データは皆無に近かった報告書の中身
Photo by Y.M.
2014年12月26日の第21回基準部会は、16時開始、18時終了の予定であった。しかし終了したのは19時10分ごろであった。厚労省の事務局による報告書案の「説明」に時間がかかったからである。
事務局は、通例通り、提出資料を解説した。住宅扶助・冬季加算に関する提出資料をそれぞれ説明し、ついで33ページに及ぶ報告書案を最初から最後まで読み上げた。もちろん、まったく言葉通りに読み上げたのではなく、要約しつつの読み上げではあった。また、あまりにも時間がかかっているため、部会長の駒村康平氏(慶応大学教授・経済政策論)が「少し急いでください」と促したりもした。それでも、事務局による「説明」が終了したとき、すでに17時20分であった。同席していた知人の新聞記者によれば「あれは時間を引き伸ばして議論させない作戦。だから、あんな間延びした口調になる」ということである。なお、報告書案も含め、資料は厚労省サイト内ですべて公開されている(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000070195.html)。
筆者は、厚労省事務局による読み上げの間に、報告書案を4回ほど最初から最後まで読んだ。そうしなくては、眠気を誘う読み上げの魔力に負けてしまいそうだったし、もちろん報告書案の内容が気にならないわけはないからである。「引き下げが妥当」「引き下げるべし」と読みとることの可能な内容は、少なくとも全く見当たらない。それもそのはず。掲載されているデータには、現状でさえ住宅扶助はまったく不足しており、冬季加算も冬季の必要を満たしているとは言えない実情が反映されているからだ。にもかかわらず、「引き下げる場合には……につき配慮が必要である」といった記述が、あちこちに目立つ。