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世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編

ビル・ゲイツ
[マイクロソフト創業者]

デジタル時代の帝国主義的支配者

【第20回】 2008年2月14日
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ビル・ゲイツ ビル・ゲイツが20世紀終盤におけるコンピュータテクノロジーの発達にどれほど貢献したか、それは誰の目にも明らかだ。その商売に対する本能のすばらしさは、今や伝説になっている。

 IBMとの間でオペレーティングシステム(MS-DOS)のライセンス契約を結んだとき、マイクロソフト社はその将来を約束された。同社は成長を続け、世界で最も輝かしい成功をおさめた企業の仲間入りを果たす。この間、ゲイツの陣頭指揮でウィンドウズの新しいバージョンを次々に世に送り出し、アップルやIBMの野望を打ち砕き、マイクロソフトの覇権を維持してきた。インターネットが次世代の花形として成長する過程では、ブラウザ戦争でネットスケープを退けた。

 これまでで最大の試練は、同社に向けられた司法省とその独禁法を扱う法律家の目だっただろう。訴訟が長引き、つらい体験となったが、ゲイツはこれを乗り切り、その支配的立場を維持している。

生い立ち

 ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世は1955年10月28日、シアトルで生まれた。両親は名前の3世にちなんで彼をトレイと呼んだ。幼いときから頭が良く、10歳の誕生日を迎えるまでに、家にあった百科事典を最初から最後まで読破している。数学にはとくに強かった。

 シアトルにある優秀な私立学校レイクサイドに通い、そこでコンピュータの知識を深めていった。13歳のとき、何人かの仲間と一緒に、レイクサイドプログラマーズグループを立ち上げ、プログラミングの能力でお金を稼いだ。レイクサイドでは、2歳年上のポール・アレンともコンピュータへの情熱で意気投合した。

 1973年、ゲイツはレイクサイド高校を卒業後、ハーバード大学で法律を勉強する。ところが、法律にはコンピュータほどの魅力が感じられなかった。そこでアレンに連絡をし、2人で力を合わせて、初期のコンピュータ言語BASICを使ったプログラム開発に没頭した。コンピュータプログラミングのさまざまな可能性に魅せられ、ゲイツは大学での学業をあきらめて1977年にハーバードを中退、アレンと小さなコンピュータソフトウェアの会社を立ち上げる。それがマイクロソフトだった。

成功への階段

 1970年代後半当時、IBMがメインフレーム事業を足がかりに、IT産業の主導権を握っていた。マイクロソフトはそのソフトウェアを多数の顧客にライセンスしていた。

 世間の大方の見方は、ハードウェアこそが手がけるべき有望な事業であり、ソフトウェアは単なる添え物にすぎない、というものだった。IBMも自社の将来をハードウェアに託すべきだと考えていた。アップルはといえば、自社製品専用のオペレーティングシステム(OS)を開発することで競争優位を築こうとしていた。

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