農業経済学者として
名をなした東畑精一

 中山伊知郎の留学生活が始まってから1年後の1928年秋、東京帝国大学農学部助手、東畑精一がボン大学へやってきた。中山と同様、シュンペーターに師事するためである。東畑は後年、1930年代から50年代にかけて中山伊知郎とともにシュンペーターの大部の主要著作を次々に翻訳し、出版したことで知られる農業経済学者である。

 年譜(★注1)によると、東畑精一は1899(明治32)年に三重県一志郡豊地村(現在の松阪市)に生まれている。東畑家は小作米400-500俵を得ていたというから、比較的裕福な地主である。4男2女の6人兄弟で、精一は長男だった(★注2)。

 三重県立第一中学(現在の県立津高校)を経て名古屋の第八高等学校農科へ進む。「地主の長男らしく農科に入ったというより外はない」と自伝『私の履歴書』(1979★注3)に書いている。河上肇の『貧乏物語』(★注4)を読んで社会科学に目を開き、1919年に東京帝国大学農学部第二部に入学する。経済学部が法学部から独立する1年前のことである。

 農学部第二部は社会科学系の講義を加えた学科で、東畑が入学した年度に新設されたものだ。洋書を取り寄せてほぼ独学で経済学を勉強していた。マーシャルまで含む理論経済学である。1922年に卒業すると翌年には農学部助手に採用され、1924年に助教授へ昇任した。そして留学である。東京商科大学の中山伊知郎とほぼ同じコースだ。

 1926年8月、米国に渡り、ウィスコンシン大学、米国農林省、ノースウェスタン大学で農業経済学を学ぶ。大学の図書館で猛勉強していた様子が自伝に描かれている。

 1928年2月、米国から帰国するとすぐに欧州へ旅立つ。フランスを経てベルリンに着いたのが5月、ここでシュンペーターの処女作『理論経済学の本質と主要内容』を古書店で入手し、1926年に出版された『経済発展の理論』第2版を購入する。

 2、3か月間かけて読んでも歯が立たなかったそうだ。そこで、シュンペーター本人に教えを乞うことにする。ボン大学を訪れたのは1928年秋だったと思われる。

 シュンペーターの米国ハーバード大学客員教授の任期は1927年9月から1928年9月までの1年間だったが、じつは許可を得て1928年4月にはボンに戻っていた。しかし、休暇をとって旅行したり、国内各地で講演していたようだ。ボン大学の講義は再開していない。

 シュンペーターのいろいろな年譜には、1928年10月にボンへ帰ったと書いてあるが、東畑がボン大学にたどり着いた10月、まだシュンペーターの姿はなかったのである。