1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から17年、2000年に新生銀行として再出発してから15年。当時の混乱さえ知らない若者も増えているいま、元長銀行員たちはどのような人生を歩んでいるのだろうか。苦悩の日々から自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の15年に迫る。(経済ジャーナリスト/宮内健)
長銀行員は経営破綻で
どこへ消えたのか?
日本長期信用銀行(長銀)が経営破綻し国有化されたのは1998年10月のことである。その前後に多くの行員が会社を離れ、新たなキャリアを歩むことになった。
もはや長銀についてよく知らない、という人も多いかもしれない。長銀は1952年、重化学工業を中心に設備投資などの長期資金を安定供給することを目的に設立された銀行である。海外業務や証券業務に強みを持つ先進的な銀行と評価されていたが、長期資金の需要減少で不動産担保融資に力を入れた結果、バブル崩壊で巨額の不良債権を抱えた。
金融危機の真っただ中にあった98年6月、経営危機が雑誌で報じられたのをきっかけに株価が急落。住友信託銀行(現三井住友信託銀行)による救済合併の道が探られたが、同年10月に一時国有化が決定された。その後2000年に外資系投資ファンドに売却され、新生銀行として再出発したというのが大まかな長銀の歴史である。
優秀なエリート集団として社会的な評価も高かった自行が経営危機に直面し、一転して社会から指弾される辛酸をなめた行員たちはその後、どんな身の振り方をし、どうキャリアを切り拓いていったのか。それをたずね、それぞれの判断の中に、激動する「いま」を生きるヒントを探すことがこの企画の趣旨である。
長銀出身者の退職後の動向を俯瞰すると、事業会社に転身した人と金融系の会社に転職した人に大別される。前者は融資先企業の財務部門や経営企画部門、あるいは株式上場やM&Aを控えた企業のほか、デベロッパーやベンチャー企業など。自身で起業したり、上場している家業を継いだりした人もいる。
後者では日系の銀行や証券、生損保に加え、外資系銀行、ファンド、会計系あるいは戦略系コンサルティング会社などがある。どの道に進むかは当時の年齢やポジションが影響しているが、経営危機の修羅場を経験しただけあってか、新天地で弾けた活躍をしている人が目立っている。
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