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大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

膠着する大川小裁判、
遺族と県・市の縮まらない距離

池上正樹 [ジャーナリスト],加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
【第48回】 2015年4月25日
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東日本大震災で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の惨事。これを巡り、児童の命を守る義務があった学校が事前の防災体制の不備や危険回避を怠ったなどとして、23人の児童の遺族19家族が、市や県を相手に国賠請求を求めた裁判の第4回弁論が4月24日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で開かれた。(池上正樹、加藤順子)

拡大航空写真、周辺住民の証言で
ついに見えてきた津波襲来直前の様子

市側が証拠として提出した大川小裏山の測量図 と航空写真を説明する遺族側の弁護士。助かった人たちが避難した3ルートを遺族側が指定した Photo by Yoriko Kato

 この日は、被告の石巻市から、原告側が「避難できた」と訴える裏山の3つのルートについての測量した図面7枚と拡大航空写真が提出された。

 それらの図面などによると、校舎から裏山へのルートのシイタケ栽培の跡地やコンクリートタタキの場所、学校近くの地蔵尊の裏のルートにも竹藪の広い空間があり、震災当時、生還住民らが焚火した跡があったことがわかった。また、津波の到達地域が図面上で特定されたことによって、「これらの場所まで逃げれば助かった」ことが明らかになった。

 原告側弁護団によると、航空写真には、シイタケ栽培の逃げる道のところに車が止まっていて、車が駐車できるほどのなだらかな場所であったことが特定でき、さらに当時、サイレンを鳴らした行政無線も写っていたという。

 そして、3つのルートを断面図に置き換えると、なだらかな傾斜になったため、「避難はいとも容易にできた。30秒もあればできた」(原告側弁護団)としている。

 さらに、事実経過をまとめていく過程で、当日、小学校周辺にいた人たちの証言によって、(津波に襲われる約7分前の)15時30分前後の様子が、かなり具体的に証拠としてまとめられたという。

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池上正樹 [ジャーナリスト]

通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。主に「心」や「街」を追いかける。1997年から日本の「ひきこもり」界隈を取材。東日本大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したのかを調査。著書は『ひきこもる女性たち』(ベスト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『下流中年』(SB新書/共著)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。厚労省の全国KHJ家族会事業委員、東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』

 

加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]

気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。最新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。
ブログ:http://katoyori.blogspot.jp/


大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”がついに解き明かされようとしている。この連載では、大川小学校の“真実”を明らかにするとともに、子どもの命を守るためにあるべき安心・安全な学校の管理体制を考える。

「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~」

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