19世紀の帝国の時代を経済学の歴史でみると、ナポレオン戦争後の1815年にウィーン体制でアンシャンレジーム(旧王国支配体制)に復帰します。ナポレオンが封鎖していた英国と大陸ヨーロッパの貿易も復活しますが、このときに穀物法撤廃をめぐってリカードの比較優位説が登場したわけだね。

 この時代になると、18世紀の市民革命ではなく、民族独立・王政打倒をめざす19世紀の革命運動が続く。1848年のフランス2月革命では第2共和政が始まり、ついにフランスで王政が終焉します。これが飛び火して3月革命がオーストリア、プロイセン、イタリアなどで起き、民族独立運動、反王政運動が激化します。「王政打倒、労働者の政府を」と求める社会主義革命まで出てくることになる。

 1848年の革命はフランス以外、政府に鎮圧されてしまうわけですが、各帝国政府は妥協の政策も取り入れます。たとえばオーストリアは被支配国のチェコに、ある程度の自治権を認め、ハンガリーを同じハプスブルク王を戴く二重帝国の形式にします。大幅に領域内の自治権を拡大したわけです。

 この時期に、カール・マルクス(1818〜1883)が登場する。マルクスは有名な『共産党宣言』を3月革命の直前、2月に出版します。フリードリヒ・エンゲルスとの共著です。そして1867年に『資本論』第1巻もロンドンで出版しました。

英国経済を分析してまとめられた『共産党宣言』

 『共産党宣言』は「万国のプロレタリア団結せよ!」と書かれているし、革命の扇動文書だと思っているでしょう。ちょっと違うんだ。たしかに、冒頭はこんな文章です。

「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である。ふるいヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる。」
「支配階級をして、共産主義革命の前に戦おののくよ。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべき何ものをももたない。かれらが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア団結せよ!」(マルクス、エンゲルス『共産党宣言』大内兵衛、向坂逸郎訳、岩波文庫、1971)

 なんだか扇動ビラみたいだけど、本文の内容は経済政策です。英国は1873年から大デフレが23年間も続いた。「失われた20年」だね。この大デフレの前から恐慌がたびたび起きていたのです。こうした経済危機をどうするのか、マルクスは資本主義が必然的に陥る経済危機から脱するための社会主義政策を『共産党宣言』で挙げています。『資本論』もそうだけれど、マルクスは英国経済を分析し、資本主義の運動法則と危機打開策を描いているんです。

講者 読んだことないし、知りませんでした。具体的にはどのような政策だったのですか。

 では、マルクスに教えてもらいましょう。

 マルクスは『共産党宣言』で最も急進的な政策をまず述べています。続いて経済の発展段階による各国の差を考慮する必要があると説いています。そして、おしなべてとりうる一般的な社会主義政策について10項目を列記しています(一部中略。カッコ内は筆者の注釈)。