新聞と雑誌が死んだ後、<br />ネットはその役割を果たせるかもし日本のメディアからジャーナリズムがなくなってしまったら?

 この連載が最終回を迎えるにあたり、編集部から「なんてことのない記事を提供しているメディアはともかく、真面目なメディアがマネタイズで苦しんでいますよね? 真面目なメディアが死んだらどうなるのか書いてくれませんか?」という難しいお題をいただきました。そもそも、メディアが提供している「ニュース」とは何なのか? そこから考えて行くことにしましょう。

 インターネットが世の中に普及する前の時代とその後の時代で、ニュースの定義・概念が明らかに変わりました。しかし、多くの人にとって、それはまったく「明らか」ではないかもしれません。少し説明が必要でしょう。

 ネットが出現する前の時代のニュースは、新聞やテレビの報道番組に流れる情報がニュースでした。ネットが出現した後の時代のニュースは、「ニュースアプリ」「ニュースポータル」などに掲載されている情報そのものだと、少なくとも外形的にはそう理解されているはずです。ただ、その情報がどういう性格を帯びているのか、何を目的に掲載されているのかについては、あまり注意が払われてきませんでした。

「ニュース」と似た言葉に「ジャーナリズム」という言葉があります。前者は何かしらの新しい出来事を伝える文章や映像といった“プロダクト”を指す言葉ですが、後者はニュースを作る過程における考え方や意思、目的、あるいは理念・思想を指す言葉です。

 一般的に、ネットが出現する前の時代は、(体系的ではないにしろ、実地を通じて)トレーニングされた職業的なジャーナリストが「ジャーナリズム」という理念に従ってニュースの生産を担っていたのに対し、ネットが出現した後は、特別なトレーニングを受けていなくても誰でもが記事を書ける時代となり、「ジャーナリズム」という理念や思想を持たない文字列や動画が“ニュース”として生産され、流通するようになりました。

 その代表格が、これまでに何度も見てきた、人の書いた記事やすでにそこにある情報に形ばかりのコメントを足したような「なんてことのない記事」です。ネットが出現する前の時代にも「なんてことのない記事」はあったでしょうが、少なくともニュースとして社会的に認知されてきませんでした。しかし、今はニュースサイトやニュースアプリの中に、これが堂々と掲載されており、ニュースとして扱われています。これが、ネット前時代のニュースとネット後時代のニュースの明らかな違いです。