『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。
壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が増刷を重ね、第5刷となった。
本連載シリーズ記事も、累計240万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破し、大きな話題となっている。
このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者と、宇宙飛行士・ジャーナリストで、朝日新聞「プロメテウスの罠」で「百姓飛行士」として登場している秋山豊寛氏が初対談!
秋山氏は、フクシマ原発事故時に福島県内でしいたけ農家をしていたが、事故後京都に移住。現在は、京都造形芸術大学教授として教壇に立っている。
8月11日の川内原発再稼働後、豪雨による鬼怒川決壊、東京で震度5弱、阿蘇山噴火、南米チリ沖マグニチュード8.3地震による津波余波など、日本列島を襲う自然災害が続出している。
これを受け、10月23日の広瀬隆氏「緊急特別講演会」を告知したところ、申込が殺到しているという。
日本にある原発は本当に大丈夫なのか?
注目の対談1回目をお届けする!
(構成:橋本淳司)
なぜ、福島第一原発から32キロで
「しいたけ」栽培なのか?
(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。
広瀬 秋山さんは、4つの顔をもっていますよね。元TBSのジャーナリスト、日本人初の宇宙飛行士、15年間福島でしいたけ農家、そして原発難民……。
秋山 原発難民には希望してなったわけではありませんけど……(笑)。
広瀬 秋山さんと私の関係は、1993年に井上ひさしさんの学校に一緒に招かれて、会った時からだから、もう22年になります。
初対面ではお互いに「怪しいヤツ」と思っていたけれど、それから何度も会うようになって、あぶくま農業者大学校(通称・あぶ大)に原発問題で、岩手の自然塾の塾長をされていたときにもエネルギー問題の講師に呼んでもらって、今日まで互いに信頼しあう親友になりましたね。
秋山 広瀬さんが「東北の牧場で働いていた」と言うので信用したのです。
僕も原発はおかしいと思っていたけれど、広瀬さんのように積極的に反対運動をしていたわけではありませんでした。
原発の不合理性、危険性を頭ではわかっていたつもりですが、どこかで学者、技術者を信用していたのでしょう。
チェルノブイリやスリーマイルも取材していたのですが、日本の技術者がウソツキ集団とは思いたくなかったのでしょうね。本当に勉強不足でした。
1995年、53歳のときにTBSテレビを辞め、福島第一原発から32キロの場所の福島県滝根町(現・田村市)で、しいたけ農家を始めました。
広瀬 TBSのばりばりのジャーナリストが、なんで、しいたけ農家になろうとしたのですか?
(Toyohiro Akiyama)
1942年、東京生まれ。宇宙飛行士、ジャーナリスト、京都造形芸術大学教授。国際基督教大学卒業後、TBSに入社。ロンドン駐在、ワシントン支局長などを歴任。 1990年12月2日から9日間、日本人初の宇宙飛行士として、旧ソ連の宇宙船「ソユーズ」、宇宙ステーション「ミール」に搭乗。1995年にTBSを退社。 1996年から福島県滝根町に移住して有機農業に従事。翌年から福島県滝根町(現・田村市)で有機農業としいたけ栽培に勤しむが、2011年3月11日の東日本大震災と原発崩壊のため、“原発難民”に。 著書に、『原発難民日記』(岩波書店)などがある。
秋山 50歳の頃、会社を辞めようという気になりました。管理職になって、記者の現場を離れなければならなくなったのが理由の1つです。
もう1つは、1995年に小選挙区制が実施されました。これは自民党がかねてから狙っていた長期独裁のための制度です。いよいよ日本が改憲に向かっていく動きが加速するだろう。日の丸法案が通過したり、日米安保の内容の変質や有事法制などの流れを見ていて、これから世の中がおかしくなっていくことが予想されました。
テレビ報道の現場が権力に弱いことは、30年も会社勤めをしていればよくわかります。だけど、言いたいことは言い続けたい。それに、都会暮らしの危うさというか環境が、生物としての自分をダメにするのではないかという自分の存在そのものへの危機感もありました。
それで、思い切って、1996年に福島に移住したのです。
広瀬 現場でものを言えなくなることが、怖かったのですね?
秋山 テレビ局の中間管理職の果たす組織のパーツとしての役割にウンザリし始めていました。何のためにここいるかという気分……。だから農民になれば、たとえ兵糧攻めにあっても、人間は米と野菜さえあればサバイバルできます。農産物を自分でつくっている限り、年収は100万円でも生きていけます。
広瀬 現在の全国の農家の平均年収は、130万円です。あぶくま農業者大学校に行ったときも、今の農家は江戸時代よりひどい扱いを受けているという話を聞きましたが、それでも大丈夫?
秋山 農業をどう考えるのかだと思う。人間の暮らし方と捉えるのか、産業と考えてその一部になるのか。それじゃあ都会の勤め人と変わらない。
年収は低くても、基本的な食物があれば必ず自活できると思ったのです。借金を抱えていれば別ですけど。
光熱費とか交際費も、そんなにかかりませんからね。それで現金収入を得るのに、素人百姓が換金作物として何を栽培するのがいちばんいいかと計算しました。野菜は難しい。果実は時間がかかる。森林について知りたい気持ちがありました。森の生態系を活かしながら、そこから恵みを取り出すという意味で、「キノコ」がある。そこで「しいたけ」でした。それで、「しいたけ農家」を始めたわけです。