イノベーションはハッタリから生まれるのだPhoto by Yoshihisa Wada

前例のないことをやろうとすれば必ず反対が出る

 私が日本生命を辞めて、兄が創業したエステー化学(当時)にヒラ部長として入社したのは1985年のことだ。バブルの真っ最中だったが、91年に東証1部上場を果たしたのと時期を同じくして会社の具合も悪くなった。一時は7500円を付けた株価も360円にまで急落し、「これはいかん」と98年に「社長になれ」と言われて社長に就任した。

 社長になっていろいろな舵を切った。役員の半減、工場の統廃合。一番力を注いだのが860あった商品の削減で280に減らしたことだ。年間約60あった新製品も1つに絞り込んだ。格好良く言えば、経営資源を一点に集中投下した。裏を返せば勝つか負けるかの博打だ。

 年に一点に絞った以上、商品開発は社長としての僕の存在意義そのものになった。ちなみに80年代後半頃から「空気をめぐるニーズ」は、「芳香」から「消臭」へと移り始めていた。そこで考えたのが「消臭ポット」だった。丸い、かわいらしいポットのような形の消臭剤で99年に出した。当時のお店の売り場には女性に喜んでもらえるような商品がなかったので発想したのだが、役員会では「一つの商品に絞り込むのは危険だ」と大反対された。でも僕は、大反対されたからこそ「やる!」と決めた。

 前例のないことをやろうとすれば必ず反対が出る。後でも書くが、これは人の当然の心理だ。だが、それが的確かどうかは別問題だ。僕自身も内心は不安だったが、「消臭ポット」を売り出したら大ヒット。当時としては未踏の年間販売目標1000万個を達成できた。

 それからは自分で言うのもなんだが快進撃だ。「消臭力」「脱臭炭」「米唐番」などのヒットを生み出し、2005年3月期には過去最高の純利益を達成し、株価も2300円台に回復させた。

 ちょっと宣伝をさせてもらえば、現在のエステーは、エアケアの市場では「消臭力」や「シャルダン」を主力に、消臭芳香剤のマーケットシェアは32%、脱臭剤では80%を誇っている。さらに衣類ケアでは「ムシューダ」と「ネオパラ」で防虫剤市場の50%、湿気ケアでは「ドライペット」や「備長炭ドライペット」を主軸に38%のシェアを握っている。

 エステーが製造・販売している生活日用品の商品開発の胆は、「聞いてわかる」「見てわかる」「使ってわかる」の3つだ、というのが僕の信念だ。特に大事なのは「効き目が目で見てわかる」ことだ。

 その象徴が冷蔵庫の脱臭剤の「脱臭炭」だろう。脱臭炭は、技術者に「脱臭効果の高い炭で一番良いものはなんだ」と聞いたら「紀州の備長炭です」と言うから、「それをつくれ」と命じた。使っているうちにだんだん水分が気化して炭の形になる。そして最後にカラン、コロンと炭の音がする。それまでの脱臭剤はヤシガラの活性炭であったり、ベーキングパウダー、簡単に言えば重曹が主力だった。これらは使っても何の変化もない。でも「脱臭炭」は、ゼリー状の炭が減っていき「使い切ったな」という満足感がある。

 5~6ヵ月すると取り換え時期が来るのが分かる。そうするとお客さまは、買い換えなくちゃと思う。こうして買い続けてもらえる。こういう「無限循環運動」がいい。