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ニッポン 食の遺餐探訪

高くても売れる「こんにゃく」の圧倒的な競争力

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第40回】 2016年3月2日
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美味しいこんにゃくは一体どんな味?

 『小さく始めて農業で利益を出し続ける7つのルール』(ダイヤモンド社)という本がある。著者は農業ビジネスの世界で注目されるグリンリーフ(株)代表取締役社長、澤浦彰治さんだ。

 この本に書かれているのは、澤浦さんの体験から導き出された農業ビジネスについて考えるためのヒントである。1962年、澤浦さんの父が離農した農家から買った土地で農業をはじめたことからグリンリーフ(株)の歴史は始まる。本のなかに創業当時の沢浦農園の写真が収まっている。傾いているのではというような木造平屋の建物を背景に1頭の牛が悠々と歩いている風景からは、その後の成長は予想できない。

 群馬県はこんにゃく芋の栽培が盛んな土地で、全国の約9割を占める栽培面積を誇る。戦前は富岡製糸場に代表されるように養蚕が盛んだったが、戦後の繊維産業の衰退によって代わりにこんにゃく栽培が広まった。昭和村の主要な農産物の一つでもあり、澤浦さんの家もこんにゃく農家だった。

 儲かる農業の象徴的な作物だったこんにゃく。しかし、澤浦さんが24歳の時、大きな出来事が起きる。平成元年の秋、こんにゃく相場が暴落したのだ。振り返ればガット・ウルグアイラウンドで 牛肉とオレンジの自由化が決まり、日本の農業の先行きに暗雲が立ち込めていた頃だった。相場の影響を受けて澤浦さんたちは納税もできなくなるほどの窮地に陥り、経営の見直しを迫られた。

 「農家には価格の決定権がない。価格を決めるには、自分たちで商品をつくるしかない」

 そう考えた澤浦さんは昔、家を訪ねてきた客が「農家が生芋からつくったこんにゃくはおいしい」と言っていたことを思い出した。そういえば自分たちも普通に売っているこんにゃくはおいしくないから、と買っていなかった。

 「これは売れるかもしれない」

 昔ながらの、農家がつくっているようなこんにゃくを売ろう。そんな風にして澤浦さんはこんにゃくの製造に乗り出した。家庭用ミキサーを使い、母親が嫁入り道具として持ってきた釜で茹でるところからのスタートだった。

「高くても売れる」
有機栽培の手作りこんにゃく

原料のこんにゃく芋(参考写真)。冬に凍ってしまうのを防ぐために一度、収穫し、翌年また植え直すという手間がかかる農作物だ

 滑り出しは順調だった。当時、こんにゃく芋からつくった製品は市場になく、手作りこんにゃくは口コミで広まっていく。初年度の売上はなんと700万円、2年目は1500万円と右肩上がりだった。

 こんにゃくを売りはじめてしばらく経った平成2年のことだ。自然食の宅配業者と商談していた時、バイヤーから「こんにゃくの無農薬って無理ですよね?」と質問された。

 澤浦さんは「できます」と即答した。

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

「ニッポン 食の遺餐探訪」

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