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闊達な議論を生む藤沢の精神を継ぎ
製薬大手が信頼する開発支援目指す
リニカル社長 秦野和浩

週刊ダイヤモンド編集部
【第117回】 2010年7月15日
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リニカル社長 秦野和浩(撮影:Saori Umebara/REAL)

 製薬会社がある病気に効きそうな物質を発見しても、その時点ではクスリとは呼べない。物質の安全性や有効性を試す臨床試験を通過して初めて、クスリとして製造や販売を当局に承認申請できる。昨今、「開発コストの削減」「スピードアップ」などの理由で、こうした臨床試験の業務をアウトソーシングする製薬会社が増えている。その受け皿となっているのが、CRO(医薬品開発業務受託業)と呼ばれる企業で、国内外に多く存在している。

 2005年に創業したCROのリニカルは最後発組といえよう。それでも顧客には武田薬品工業やエーザイといった製薬大手が居並び、信頼性の高さがうかがえる。業績も順調に伸び「創業から3年で上場する」という目標も実現した。

 急成長を実現する強みは何か。リニカルを率いる秦野和浩は「CROは製薬会社の言われたとおりに仕事をこなす“下請け”になりがちだ。だが、われわれはプロ集団として提案や意見が言える“パートナー”になれる」と分析する。それを可能にする人材が集まっているのだ。

藤沢の開発部隊から
山之内との統合をきっかけに独立

 秦野が製薬会社の開発担当者を目指したきっかけは、大学在学中に聞いた「創薬の“花形”は(臨床試験を進める)開発部隊」という言葉に感銘を受けたためだ。最初に就職したのは中堅製薬会社のマルホ(大阪府)。希望どおり開発部に配属され、充実した毎日を過ごした。

 「夜遅くまで仕事があり、休日も論文を読んで勉強した。しんどい毎日だったが楽しかった」

 転機を迎えたのは33歳のとき。仲介者を通じて、旧藤沢薬品工業(現アステラス製薬)への転職を打診された。

 「藤沢が当時手がけ、『免疫拒絶反応』を死語にした大型薬“FK506”(プログラフ)は、効能を広げる途上にあった。その開発に携われるなら、と心を決めた」。そして、臓器移植などに限られていた同薬の効能を、関節リウマチや潰瘍性大腸炎に広げる開発に携わる。

 藤沢では、社内に溢れる仕事への情熱に肌が合った。「上司・部下の垣根が低く、開発方針をめぐって部長と2時間ぐらい怒鳴り合ったこともある。プロジェクト会議で発言しないと、勉強してないからだ、出て行け!と退席させられるほどで、サムライが多かった」。

 そんな風土に心酔し、「骨を埋めるつもりだった」が、04年に浮上した旧山之内製薬との統合話(06年に両社でアステラス製薬を設立)を機に秦野の気持ちは変化し始める。統合によって藤沢の文化が損なわれる恐れがあったからだ。大阪拠点の閉鎖によって世話になった派遣社員や既婚の女性社員が退社に追い込まれることに承服できない気持ちもあった。そして04年11月に腹を決める。

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