「ゲス&ベッキー騒動」の反響は想定外
スキャンダルを追うことの意義とは?

 タブーに踏み込みにくくなる時代の変化を、新谷氏は「逆にチャンスだと捉えている」という。「ワリに合わないという理由からタブーを避けるメディアが増えるなか、その土俵で歯を食いしばって踏ん張れば、屹立した存在になれる」と考えてきた。

「炎上を恐れてキレイごとしか言えない雰囲気はマズイと思います。建前があふれる今だからこそ、本音の情報を伝えるメディアが必要ではないでしょうか。SNSなどで著名人が情報を発信できるようになりましたが、これらは本人にとって都合の良い情報ばかり。社会に対して大きな影響力のある人物の情報は、不都合な真実であっても報じなければならないと考えています」

 一方で、ゲス&ベッキー報道の過熱ぶりについては「ここまでの騒ぎになるとは想像しなかった」と戸惑ったという。

「私たちは、偉そうに取材対象者を断罪したり、イデオロギーを振りかざしたりするつもりはありません。あくまで、ファクトを提示するだけです。ベッキーさんの記事も、彼女に休養やコマーシャル降板を求めたものではまったくない。そこに怒りや憎しみはありません。記事の根底にあるのは、人間への興味です。好感度タレントの意外な素顔を伝える記事でした。しかし、その後の彼女に対するバッシングは想像を絶するもので、こうした時代であることは、今後記事をつくる際に心に留めて置く必要があると思います」

 ウェブの台頭により、ニュースの在り方も変わってきている。週刊文春でも、有料の週刊文春デジタル限定で音声・動画を公開するなど、「デジタル上でのマネタイズに力を入れている」という。

「綿密な調査報道にはコストがかかります。これまでは雑誌の売り上げで賄ってきましたが、これからはデジタル上のコンテンツビジネスも重要だと考えています。ネットニュースについては『タダで見られる』という考えが一般的でしたが、それに対し『ネットコンテンツでも価値があるものにはお金を払うべき』という理解を広げていきたいのです。玉石混淆の記事がネットに上がる中で、“価値ある真実”を発信する。それを維持するためには調査報道をビジネスとして成立させていく必要があるのです」

スクープを支える組織論とジャーナリズム論
メディアが「文春砲」から考えるべきこと

 個人のプライバシーに迫る報道は、いつの時代も、どんなテーマでも賛否両論ある。それらについてここで言及することは控えたい。それよりも、『週刊文春』として、スクープを生み出す組織体制、そして彼らの持つジャーナリズム論については、ある程度浮き彫りになったのではないかと思う。また、そのスクープに対する反応は、今の時代のメディアや世間を反映する機会になったとも言えるだろう。

 芸能人から政治家まで、多くの人たちに影響を与え、列島を揺るがす「文春砲」。その姿から考えるべきことは、きっとたくさんあるはずだ。